Nov 10, 2008

〈うさぎ穴〉からの発信 河合隼雄(その二)

usagi

 まず、ここに「読むこと・書くこと」の項より引用します。

 『一歳二ヶ月のころ、脳性小児麻痺と診断され、それ以後六歳まで機能訓練に通い、養護学校の高等部を卒業した吉村敬子は、自分の体験に根ざした文を書き、「絵本のテキスト」としてどうかと、児童文学者の今江祥智に見せた。それは《わたしいややねん》と題されて、吉村敬子の車椅子による生活体験から生み出されたものであった。そのときのことを、今江は「おずおずとさしだされた《わたしいややねん》を読んで、わたしは背筋がきゅんとなった。叫びやなぁ、テキストちゅうもんやあらへんなぁ・・・・・・、としかいえずにいた」と述べている。これに対する吉村の答えが素晴らしい。「わかってます。ちゃんと《作品》を書いてきます・・・・・・(中略)次にもってきてくれたのは《ゆめのおはなしきいてェなあ》だった。」

 その結果この二冊は共に出版されました。困難な人生を「書くこと」と、それを「読むこと」との関係には、とても語りつくせないほどの問題が横たわっています。ここに橋を架ける「あるもの」が必要ではないか?と思えてならなかった。これはおそらくわたくしが約八年間抱えている問題だったともいえます。今でも答えは出ませんが、ここに書かれた今江氏の言葉で、どうやら言葉にしていただいたような気がします。

 不特定多数の人間に向けての個人の「叫び」が誰かに届いた時から、「書くこと」は次のステップへのぼることができます。それがきっと「作品としての昇華」というものになるのでしょう。そして作品は見えない読者へ向けての「叫び」ではなく、話相手の登場する「語り」の作品へと変容してゆくのでした。作品のなかに「もう一人の私」を置くことで、世界を客観視することができる。これが文学における「普遍性」と言われるものに繋がってゆくのではないかと思います。・・・・・・と言いつつ、断定できない「揺らぎ」は消すことはできませんが。

 (つづく)

 (一九九〇年、マガジンハウス刊)
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