Feb 11, 2009

ジョージア・オキーフ 人生と作品

著者:チャールズ・C・エルドリッジ
翻訳:道下匡子

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 (夫の写真家「アルフレッド・スティーグリッツ」撮影)

 作品も当然わたくしを魅了しましたが、アメリカを代表する女性画家である「ジョージア・オキーフ」のうつくしい姿と、その潔い生き方に引き込まれる思いが致しました。出会いはどこぞのテレビの美術番組でしたが、すぐに図書館を検索して、この大判の重い本を借りてきました。いつでも「女性画家」というものは同性として気になる存在ですが、魅了して下さる条件といえば、その「潔さ」かもしれません。

 「ジョージア・オキーフ」は1887年、ウィスコン州のサンプレリーの酪農家に生まれる。ここはアメリカ西南部の平原で、ウィスコンシン州内での代表的な祖先グループは、ドイツ系 、アイルランド系 、ポーランド系 、ノルウェー系、イギリス系、ハンガリー系、オランダ系など、さまざまです。彼女は、アイルランド、ハンガリー、オランダを先祖にもち、決して豊かではない、子沢山のなかで育ちます。
 マディソン(おおお。懐かしい映画、クリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」を思い出す。)で高校時代をすごした後にシカゴ美術研究所で絵画を学ぶ。更にニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学、ウィリアム・メリット・チェイスに師事した。ニューヨーク滞在中に将来の夫となる、写真家で画廊主の「アルフレッド・スティーグリッツ」に出会っている。短い夫婦生活ではあったが、夫は妻を育てたという功績は大きい。また「ジョージア・オキーフ」はフェミニズム活動家でもあり、この時代の女性をリードする存在でもありました。

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 長い画歴のなかで、作品はほとんど風景、花、そして砂漠の動物の骨だけをテーマとして描きつづけた。どれも色彩は美しく、雄大なものです。これらの作品を生んだ風土は、ニューメキシコの砂漠地帯、サンフェタなど、さらに旅も多く、夫との生活は空白が多く、孤独だった夫の「アルフレッド・スティーグリッツ」は、妻を残して1946年に逝去。その後「ジョージア・オキーフ」は40年を一人で生きて描き続けることになります。都会を離れ、荒涼たる土地にアトリエを置いて、作品は膨大に描かれました。彼女は忘れ去られることすら恐れない生き方を選びながらも、めったに開催されない展覧会では、多くの観客動員がありました。またいざ展覧会を開くことになりますと「彼女の展覧会にはプロデューサーはいらない。」という定説ができるほどに、彼女のこだわりには強い意志が貫かれていました。

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 そして「ジョージア・オキーフ」のこの言葉が心に残り続けています。

 『私は自分の作品を人には見せたくないのです―私の言っていることは矛盾しています―人々が理解しないことを恐れ、そして彼らが理解しないことを望み、そして彼らが理解することを恐れるのです。(1915年)』

「ジョージア・オキーフ」1986年3月、98歳で逝去。

       (河出書房新社刊)
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