Jun 04, 2009

詩が生まれるとき  新川和江

07-6-7-azisai

 これは新川和江さん自身の作品を挙げながら、その言葉が生まれる過程について書かれたエッセー集です。初出は2006年から2008年までの「朝日新聞」「「みすず」「詩人会議」などに掲載されたものの集成です。2006年に出版された「詩の履歴書・思潮社刊」の続編と見てもよいかもしれません。

 おそれながら申し上げれば、わたくしは母からいのちをもらいましたが、「詩を書く者」としてのいのちの始めには、新川和江さんがいてくださったのだと、この本を読みながら再確認した次第です。(不肖の弟子ではありましたが、あしからず。)お教えくださった言葉は今でも覚えています。


①たくさん読みなさい。あなたが新しい表現だと思いこんだものが、実はすでにどなたかによって書かれたものかもしれないのです。

②師の後ばかり歩いてはいけません。いつの間にか横を歩いていて、そして前を歩いていたと言うところまで歩きなさい。



 上記の教えを守れたのかどうかはわかりませんが、生意気にもわたくしは師に対して「自主卒業宣言?」をして、一人で書いてゆく決心をしたのは第1詩集「河辺の家」を出した後でした。小生意気な弟子でしたが、新川さんは今でもわたくしにはおおきな師です。この本はそれを再確認するものでした。以下にこころに留めておきたいところを引用(太字部分)いたします。


《チドメグサ》

 個人的な傷や不幸を抱えていないわけではなかったが、長じて詩を書くようになってからも、その傷口を自分から暴いて衆目に晒すことは潔しとはしなかった。役者でもないのに、ひとつの詩をひとつの舞台として見立てているところがあった。私ひとりの悲哀や苦悩を、読んでくださる方に押しつけるのは、無礼であり不様でもある。社会的な事象をテーマにした作品であっても、直接傷を剔るのではなく、その傷口に貼るチドメグサを探しに行くのが、私の性分に合った〈詩の仕事〉だという思いがあった。



 わたくしはこの教えは守ってきたように思います。たとえ書いてしまったとしても、最終的には詩集に収録しなかったし、それ以前に自ら捨てたと思います。詩を書いているわたくしの向こう側には、わずかでも読み手がいます。そこに届けるためには、詩はどのようなものであればいいのか?それを思わない日はありませんでした。



《散らばる活字》

 植字工が原稿と首っ引きで活字を広い、版型のなかに配列していた。組み終えた版型を運ぼうとしていた植字工のひとりが私の前を通る時、誤ってその版型を取り落とした。(中略)50年後の今でも私は、詩を書こうとして言葉を選んでいる時、必ずといってよいほど、その時に受けた衝撃と、活字が四散した光景を思い出す。

壁から鋲をはづすように
空の一角から その星をはづす
すると満天に嵌めこまれてゐた星たちが
一挙に剥げ落ち
(そういう星が・・・・・・  より抜粋)



 新川さんの印刷所での実体験がこの「そういう星が・・・・・・」の詩を産んでいます。いかに言葉を大切に思い、そのうつくしい詩行を組み立て、配置し、揺るぎない形にしていらしたのか、とてもよく理解できます。
 昨今の合評会などで、仲間同士が無造作に「この行、あるいは連はいらないのではないか?」という批評が頻発しますが、書き手にとっては不用意に無造作に書いたものではないと思います。そこを認めた上で批評を始めなければならないように思います。この一冊はさまざまなことを考え直す、というよりもすでに教えられていたことを再確認できた読書時間でした。

(2009年・みすず書房刊)
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