Nov 28, 2008

死にゆくものの叡智に・・・

momiji

 あるお方のサイトに森茉莉のエッセーの一節である、父上「森鴎外」の言葉が記されていました。孫引きで申し訳ありませんが引用させて頂きます。

「鴎外は私が倫敦にいた時、私が出発した頃から弱っていた体が、再び起きられぬようになった。鴎外は母に”茉莉は今、欧羅巴にいる。一生の中で一番楽しい刻だ。俺の体が弱ったことを報せるな。危篤になっても報せるな。死んだという電報も打つな”と、言った。」

 私事を書くことはなるべく避けていたいのですが、この言葉に出会ってしまったら、やはり書いておこうと思いました。これはかつて父と姉との「死の宣告」を受けた時に、当人に告知できなかったわたくしの判断に対する後悔かもしれません。また何故できなかったのか?を改めて考えてみました。

 *   *   *

 近所の開業医に定期的に通っていたにも関わらず、一向に回復しない父を無理矢理に大きな別の病院に連れていった途端に、父の「末期癌」の宣告を言い渡されました。「長くて一年、短くて半年、何故そのドクターは見抜けなかったのか?」とそのドクターに言われました。一九九五年の暮れでした。一ヶ月の入院の後に、自宅療養に切り替わりました。ドクターの仕事はもう何もないのでした。同時に母の痴呆も加速していました。わたくしは家族を離れて、かつての家族に戻るように父母との生活に入りました。


冬の父  (一九九六年二月)

横たえられたままの
枯れた一本の樹のような父の
その浅い眠りの繰りかえしは
やがて深い闇のなかへ向かってゆくのだろう

真昼
父がおだやかに目を覚ました
やさしい目をして
わたしをみつめて
「もう 休んでもいいか?」といった
わたしは黙ってうなずいた
そしてまた父は目を閉じた

窓の外では
静かに雪が降りはじめた
父の希薄な呼吸音
雪も音を持たない

冬の午後の
わたしたちの決意
わたしはもう父を呼び戻さない
父はわたしを置いてゆく
童女となった母も置いてゆく
「それでいいか」と
父はまたうっすらと目を覚まし
わたしをみつめている

わたしは父のまぶたを
あたためた手の平で覆う
「もうすこし眠って」
「それから……」

窓辺では
母が小声で「ゆきやこんこん」を
歌っている
(詩集「砂嵐」より。)


 一九九六年八月、父はたった十日間の入院で亡くなりました。「宣告」から八ヵ月でした。人間の死は生き残った者の祭りです。わたくしはその賑わいのなかで、ただ腰が抜けたような自分を支えているだけでした。ただただ父はいつから自らの死を覚悟したのか?という思いだけでした。

 *   *   *

 父の葬儀のたった二ヶ月後には、独り身の姉(近所に暮して、半家族でした。)も、癌の再発と同時に「死の宣告」でした。一九九七年二月まで入院したまま、亡くなりました。毎日病院に通いました。そしてまた、わたくしは姉に「死の宣告」は言いませんでした。言い訳が許されるなら、父の死から無理矢理に再び立ち上がったわたくし自身のこころの力量不足でした。

 最も身近な者の死に、結局わたくしは口をつぐんでいたまま、「死にゆくものの叡智」にすがっていたのかもしれません。二人もわたくしになにかを問いつめることをしませんでした。そしてその死までの困難な日々を二人は寡黙に生きていました。姉とわたくしは、何度も病室で、先に逝った父のやさしい呼び声を聴いたような気がしてなりませんでした。

 *   *   *

 どこまで書いても、自分が本気で書いているような気がしません。また森鴎外の言葉に帰結するしかないようです。上記の言葉を超えることができません。

 痴呆の母は、父の看取りの困難な時期から施設に預けました。引き取る暇もなく姉の看病に入り、その間に母の痴呆は急速に進み、もうわたくしの力量を超えていました。そもそも施設に預けることは痴呆の速度を速めるだけなのです。できることなら預けたくはなかった。そして苦渋の決断でそのまま施設にいてもらいました。家族から「母を引き取れば、今度は自分自身が狂うだろう。」とも言われました。
 施設からの緊急連絡で駆けつける前にあっけなく二〇〇一年十二月に母は亡くなりました。癌に侵されることもなく、足腰が不自由になることもなく・・・。

 結局、介護したはずのわたくしが、死にゆくものの叡智と愛に守られていたのではないでしょうか?あんなに辛かった日々をここに改めて文章にしてみますと「死にゆくものの叡智」に辿りつくだけでした。そして「森鴎外」の言葉に出会わせて下さった方に感謝いたします。ここで未熟な自らのペンを置きます。


お茶の時間

空の上には
花の咲く野原があって
やせ細った父と母が微笑んで
並んでござの上に浮かんでいる

お茶の時間ですよ と
わたしが訪ねてゆくと
空のもっと上から
半分消えかけた茶箪笥が
傾いて吊り下げられている

茶布巾を取り出そうと引き出しを開けると
小さく折りたたまれた姉がいる
引っ張り出すと ほぐれて笑う
膝のあたりを折り直して
父母のそばに座らせる
三人そろっていい笑顔だ

ほこりを被った急須をすすぎ
茶葉を入れ
お湯を注いでいると
急に雨音がする

懐紙の上の桜色の菓子が溶けてゆく
茶箪笥が消えてゆく
ござが消え
父も母も姉も小さくなってゆく

真昼 ひとり……
わたしは泣きながら目覚めた
窓の外はにわかに暗い
はげしい雨音が聴こえる
わたしは
今 どこにいるのか?
Posted at 22:52 in nikki | WriteBacks (3) | Edit
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