Sep 07, 2005

遅い訃報

宮沢賢治賞というのがあって、それを受賞した小林敏也さんという方は、大変無口な方で、お酒をがやがや飲んでいてもひっそりとしていた。
そんなふうだから、本郷の出版村界隈では「失語症の敏也さん」と言われていた。
わたしは敏也さんのファンで、足立さんと画本のサイン会に行ったことがある。
足立さんは忘れちゃってるかなぁ。
わたしは、そういうことで出歩くというのはめったにないのだ。
そのときに、敏也さんと仲良しの「画伯」とよばれるみるからに、居丈夫な貝原浩さんがいた。
とても仲が良いらしく、飲むときに何回か同席した。
画伯はわたしの知っている女性だけの出版社で、本の表紙などを描いていたが、生活はさながらボヘミアンで南米に行ったり、チェルノブイリに行ったりしていた。
それを知るくらいで、わたしは喘息と心中しそうになっていたからお付き合いは皆無になってしまった。


思い出したように、今日はそこの編集長に電話をかけた。
話はそちこちいったが、「画伯死んだの知ってる?」と唐突に言われた。
一応、新聞各紙に出たんだけど。
居丈夫だったのだ。
「癌だったの。」
胸に突き上げるものがあった。
画伯の絵が、家の階段の突き当たりに飾ってある。
いつもそれを見ていたから、「実際の画伯より親しく思えるみたい」と言った。
彼女は、最後まで付き合ったと言う。
それを聞いただけで少しほっとした。
画伯は飲むと、よく「ポランの広場」を歌った。
ひとなつっこい笑いが、魅力的だった。
敏也さんは友人を失ったのだ。


*敏也さんの画本は、ここで知った。
書評を書けば本をあげると言われたので、早速書いたのでした。 ビュフォンの星図
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