Oct 03, 2006

寺山修司・過激なる疾走  高取英

sora2

 これは、かつては寺山修司主宰「天井桟敷」のスタッフであり、今は「月蝕歌劇団」を率い る劇作家「高取英」の書いた「寺山修司の評伝」です。高取英の著書にあたるのはこの本が初 めてですので、言っていいのかどうか迷うところですが、他者の引用文があまりにも多いので 、わたくしのような読者は苦しめられました。書かれている一文が著者自身のものなのか、寺 山修司の言葉なのか、他者(十数名いる。)の引用なのか時々確認し直しながら読みました。 引用はほとんど「反論」ではなく「証言」として用いられていますので、迷子の読者にはなら ずにすみましたし、我が「寺山修司」の夢をぶち壊すものでなかったことにも感謝します。おそらく高取英の寺山修司との距離のとり方が近すぎたのではないでしょうか?

 寺山修司の作品のなかでは、母親が幾度も殺されています。しかし彼には実母と養母がいる のですが、その双方から豊かな愛を受けています。それが彼の早熟で多才な活動に、血を注い だと思われます。これは私見ですが、「愛された記憶」がいかに一個の人間を豊かに実らせる ものであるのか、ということの一つの好例だとも言えるでしょう。
 ヒットラーを「ゲルマンの血の純潔という夢のための詩的行為の人」と言い、またはトロツ キスト、反革命と言われた戯曲「渇いた湖」のなかの主人公の台詞「デモに行く奴はみんな豚 だ。豚は汗かいて体こすりあうのが好きだからな。」から、前記の考えを否定しなくてはなら ないとも思いません。
 寺山修司の純粋性や愛の表現が「殺人者」「テロリスト」「叙情」「過激性」「エロス」な どなどに分かれてゆく時、その分かれ道には何があったのでしょうか?荒野のような広さと多 様な世界を抱いていた人だったと改めて思います。この本の結びの言葉は寺山修司のエッセー のなかから、このように書かれています。彼は父親にはならなかった。

 『私は、私自身の父になることで、せい一杯だったのである。』

 読み続けるうちに次第に疲労感が訪れてきました。寺山修司の「生き急ぎ」の人生に、わた くし本来の「ノロマ性」が追いつけなくなってきたのでしょう。
 「家出のすすめ」が書かれた時期は、改めて確認してみますと、わたくしが「家を出る」こ とを意識し始めた時期とほぼ同じ時期だったようです。わたくしが思春期や青春期に寺山修司 を意識しながら生きたわけではないのですが、寺山修司の後追いのようにして、社会状況を見 つめて生きてきたのだと改めて思いました。

 失ひし言葉かへさむ青空のつめたき小鳥撃ち落とすごと  寺山修司

 落下する白い小鳥が置いてくる秋空のすみの青い空白   昭子

 (二〇〇六年・平凡社新書)
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