Oct 14, 2008

生きるとは、自分の物語をつくること 河合隼雄×小川洋子

(2)07-9-28yuugure

 河合隼雄は二〇〇七年七月にご逝去されました。小川洋子にとっては、ここに掲載された二つの対談「魂のあるところ」「生きるとは、自分の物語をつくること」だけで終わってしまいました。そのために小川洋子は最後の章では「二人のルート・少し長すぎるあとがき」を「弔辞」として書かれて、この一冊はできあがりました。
 ユーモアとやさしさにつつまれたお二人の対談は、読み終わる頃には、「生きる」ということの矛盾、困難、そしてそれらがあればこその「それぞれの物語」があるのだということを、旱の地が雨を吸い込むように自然に受け入れることができました。

 「魂のあるところ」の章では、小川洋子の小説「博士の愛した数式」の、河合隼雄による読み解きと感想が対談のメインでした。書き手である小川洋子の意図した小説展開よりも、臨床心理学者である河合隼雄の読み解きが超えていたように思えます。一冊の小説が読者によって大きく育てられてゆくことの幸福を垣間見た思いがいたしました。さらにこの「博士の愛した数式」誕生には、数学者藤原正彦という理解者もいらして、この小説はとても幸福な一冊ではないかと思いました。

 「生きるとは、自分の物語をつくること」の章では、『人は、生きてゆくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶してゆくという作業を必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再認識するために書いているという気がします。』という小川洋子の発言がありました。

 河合隼雄は上記の小川洋子の言葉に応えて、同意し、さらにこのように語ります。

 『その感じは、もうほとんど一緒じゃないかと思いますよ。ただ小説家はずっと降りて行って、その結果つかんだものを言葉にする。だけど僕らは、人が話すのをただ聴いていて、その人自身が何かを作るのを待っているだけです。自分では何も作らない。」

 臨床心理学者のお仕事は「聞き役」に徹底的になりきることのようです。その上「マニュアル」も「分類法」もないのですね。「ガンバレ」も言わない。しかし時には生身の人間同士として言い合いになる場合もあるそうです。ただ河合隼雄が患者さんに対して、決して失望しないのでした。人間はそれぞれが違う物語を生きているのですからね。そして河合隼雄が患者さんから聞いたお話はどこにも口外できません。それでは記憶がパンクするのではないかと、意気地なしのわたくしは緊張します。しかし河合隼雄は、ご自分は「アース」なのだとおっしゃいます。そこを通して、記憶は「地球」が全部覚えていてくれるのだと。そして忘れた記憶は、必要に応じて「地球」から芽吹くように出てくるのだと。ふぅ~すごいなぁ~。

 このお二人の対談は、わたくしの小さな小さな「地球」のどこかで記憶の芽を出しました。それは、過去に読んだ「物語と人間の科学・河合隼雄」と、「物語の役割・小川洋子」の二冊でした。

 河合隼雄は「ジョーク」の名人でした。書き出せばきりがないほどにおもしろいお話がありましたが、ここではカットします。機会があれば「Talk Room 」の方でご紹介します。

 (二〇〇八年八月・新潮社刊)
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