Feb 05, 2006

言葉のもどかしさなど。。。

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 四日、国立の一ツ橋大学に隣接する「佐野書院」にて、「ル・クレジオ」を迎えてのワークショップを聞きに行きました。題して「外部のヨーロッパ人 ル・クレジオを迎えて」というものです。詳しくは桐田さんの「吸殻山日記」をご覧下さい。(ずる。(^^;)。。。)

 「ル・クレジオ」は一九四〇年ニースで生れていますが、彼の自称は「フランス系モーリシャス人」とのことです。幼児期に戦争があったこと、それによって国籍が数回変わったこと、さまざまな土地を見たこと。それが彼にマイノリティー的感覚を育てるもとになっているように思えました。その感覚に寄り添うように、さまざまな人々が「ル・クレジオ」との細い通路を探り出し、そこから語りかけるしかないのだが、それらはすべて「ル・クレジオ」の全体像に触れることはできない。
 かくいうわたしは、まず「ル・クレジオ」の通訳の発言を待つことになる。その間にすでに理解の時間や解釈がおそらくずれているにちがいなかった。「アメリカ先住民世界」が「ル・クレジオ」に与えた影響はかなり大きいものであるらしいが、そしてそれはわたしも興味を持っていた世界だが、それをわたしからのか細い通路にしてしまうことは、なんとも短絡的で避けたい気持が働いた。
 人間同士は心の形や姿や温度を見せることはできない。そこに「言葉」が働きかけるしかないのだが、それはなんともどかしい作業だろうか?「ル・クレジオ」の周辺をめぐりながら、わたしはただ「言葉のもどかしさ」を抱いて帰りの電車に揺られていたように思う。

 「ぼくの真実に近づくために、ぼくは直感および言語という貧しい道具しか持ち合わせがない。だがある程度は、これらの道具でぼくにとっては十分なのだ。確実性におけるそれらの貧しさは、偶然性における豊かさである。」

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 立春とはいえ、快晴のとても寒い一日でした。一ツ橋大学構内にて。
Posted at 21:23 in nikki | WriteBacks (3) | Edit
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■これは、面白そうですね。ル・クレジオという詩人は、名前だけしか知りませんでしたが、そういうお人なのですか。外部の欧州人。いいですね。外部の日本人を意識せざるを得ない者としては。桐田さんの日記も拝見してみます。

Posted by 冬月 at 2006/02/05 (Sun) 21:52:04

お薦めです。

「ル・クレジオ」は多分、冬月さんの感覚に親しいものかもしれません。お時間があったら読んでみてください。

Posted by たかたあきこ at 2006/02/06 (Mon) 02:13:35

追伸

「ル・クレジオ」は詩人ではなくて、作家、エッセーストです。

Posted by たかたあきこ at 2006/02/06 (Mon) 09:31:54
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