Jun 18, 2008

芸術都市パリの100年展

doni

effelガブリエル・ロッペ「エッフェル塔の落雷」

 十七日は上野の東京都美術館にて「芸術都市パリの100年展」を観てきました。これは「日仏交流一五〇周年記念」という背景もあるようです。副題は「ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街(一八三〇年~一九三〇年)」となっていますが、展示された作品は絵画、彫刻、写真(新しいジャンル)、風刺画、素描、版画、などで、作品も作家たちも広範囲なものでした。

 一八五〇年代から、ナポレオン三世の命によって、パリの街並みの改造が始まりました。中世からの城塞都市パリを近代都市パリへと変えていったのです。城塞は破壊され街が拡大され、南北幹線道路の貫通や放射状の道路拡張、セーヌ川の橋の掛け替えや増設、上下水道、ガス灯の配備など、街の整備が進められた。また、複数の新しい建造物なども。そして一九〇〇年まで五回にわたって開催される万国博覧会に伴い、エッフェル塔、プティ・パレ、グラン・パレとさらに建築がつつぎました。そうしたパリの変化は、世紀をまたいでモンマルトルの丘にサクレ・クール寺院が完成する頃ひと段落しますが、現在のパリ市中心部の姿は、ほぼこの時の状態をとどめているということです。

 こうしたパリの発展を背景に、美術の世界では、ロマン主義、写実主義、印象主義、ポスト印象主義、象徴主義などが続きます。このようにしてパリが芸術の都として最も輝いた百年をメイン・テーマとして生まれた作品の紹介でした。


  *  *  *

   帰りの電車でぼんやりと考えました。エッフェル塔の基礎工事から完成までを撮った一連の記録写真の解説には「一八八七年から始まった二年二ヶ月のスピード工事は、命綱もない危険な工事だった。死者はたった一名。」とあった。死者数が少ないことを誇ってもいいのかなぁ?電車に揺られながら、ふいに、わたくしのいのちを断つということを想像してみる。初めてそういうことを考えてみた。美術館に行く前に気まぐれに入った、久しぶりの上野動物園の動物たちよ。安らかに眠っていますか?こわい夢をみていないでしょうね?
Posted at 16:57 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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反抗と受容

関係ないようで関係があるかもしれないんですが、
上野動物園の動物で思い出しました。
「オルカ」は、囚われの身になったことを悟ると、
調教師を喜ばせることに情熱を傾けるように
なるそうです。「切れて」暴れるんじゃなく、
現実を受け入れて、自らも楽しもうとするそうです。
イルカになると、イルカ語で人間に名前さえ
つけてしまうようです。

人間の場合ですと、社会状況がひどければ、
切れるか受け入れるか
そのどちらかに誘導され行く気がしますね。
「洗練された反抗心」を常に持ち続け
横の連帯を探ることが一番まっとうなのに、
そうさせない何かがある。支配イデオロギー
のしたたかさというべきでしょうか。
楽しみながら反逆する。反逆を楽しむ。
動物のことを考えながら
ふとそんなことを思いました。

Posted by 冬月 at 2008/06/22 (Sun) 00:50:32

日々思うこと。

「洗練された反抗心」…とてもいい言葉ですね。
人間は常にこうありたいと思います。

すでに社会人になっている娘と息子を遠くから見守りながら、いつも思います。もちろん理不尽な思いや苦しみを抱えながらいきているのでしょうが、頑張って、切れずに生きていてくれるだけでも、誉めてあげたいです。(←親バカ。笑。)

Posted by あきこ at 2008/06/23 (Mon) 00:17:03
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