Feb 26, 2005
引き出しの灰(1996.7.9)
消しゴムで消す
へのへのもへじ
もじゃもじゃ頭のカツオに目薬
掌に水芭蕉
そんな青い季節です
(引き出しにはネズミの死骸
だから怖くて開けられない)
消しゴムが日々の澱を消す
忘れっちまって
忘れってまって
カツオに目薬
いやにしみるね
その灰は骨から
その灰は紙幣から
引き出しから取り出して
投げる灰の虹
ほら、あんなところでファックしているよ
暗い駅(1996.6.18)
米粒に絵を描く
豚が飛んでいる
豚が飛んでいる
米粒に茶碗を描く
お茶が飛んでいる
みみずが飛んでいる
霧が手を出してお茶を啜っている
コンセントを挿す
ぼっと明りが点く
足跡が飛んでいる
泥に付いた足跡が飛ぶ
夏の前哨戦の風
蒸気
ネズミモチの花
僕の靴下は女の下宿
僕の靴下は女の下宿
僕はマダラの蝶みたいに
耳に粘土を入れていた
僕は尻に椅子をつけて歩いていた
あのイグサ イグサ
あの暗い駅
垂線(1996.6.11)
灰がビルの谷間に駆け抜けていく
いくつかの谷間に沿って街ができた
おびただしい文人がその旅篭に泊り
たくさんの色紙を残していった
紙は紙魚に食われ 穴が開き
墨はかすれ
やがて灰になった
血で血を洗う戦いは
やがて微小な刺の残骸になり
ポインターを連れた避暑の男が
古磁器の深く埋まる山の際を
歩いていく
その仕事の最中 彼はふと横を向く
そのように武士が横を向いた谷間
川はまだ天然の鮎をたくさん
含んで流れている
垂線 埋葬 祈り
ほんとうに祈りの言葉がこの谷間に充満したことが
あったのか
ほんとうに
確かなのは
透明な僧がここを通り過ぎたことだけ
その僧を垣根の隙間から見た
若い母こそ
じつは
その僧以上の求道者だった
それだけは確かなことだった
いま一台の四輪駆動車が砂利の音をたてて
寺の間に入っていく
包丁群(1998.12.15)
一般的な家庭では
包丁や鋏などが飛び交うものだ
いいことがあることは
家人はすぐ忘れる
僕も
いまや些細な流星の跡が
感情の琴線に触れたりするのに通じる
いいSEXをしていれば家庭は安泰だ
という90年の箴言は
SEXがガス抜きになって
過剰な power of imagining が減少して
サザエさん状態が来るのをみんな求めていることを
知らしめるだけで
フーコーやバスキアみたいに男色乱交して
AIDSに罹るのを防ぐだけの話だと思う
庄野潤三は「カーソルと獅子座の流星群」という
とても平和な家庭についての短編を書いた
それから一周期
獅子座の流星群はやはり平和な家庭の
一こまだったが
同時に包丁や鋏もリビングに飛び交っている
ほんとうは当時も出刃かなんかが
壁に突き刺さる家もあったのかもしれない
で、どうだろう
自殺未遂や包丁沙汰は
おお こんなに愛しているの あなただけしかいないの
というイタリアふう狂詩曲に日本では終わるだろうか
つまり性交でね
終わらないと思う
やはりイマジンのパワーは過剰なままで
すでにサザエさんや
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」
や「白鳥の歌なんか聞こえない」みたいなイマジンや
川崎長太郎のようなハッピーエンドの娼婦の絡んだ私小説は
古層になり
びゅんびゅん包丁などが飛び交う
僕はね
バーチャルな痴話喧嘩はいつでもあると思う
でね
阿部定みたいなラジカルなね 感情も生きてもいる
では
この都市の上空はどうだ
砂の恋人たちがぞろぞろ歩いている
ゲーテはなんであんなにたくさんの妻と暮らす性格なのに
「若いウェルテルの悩み」のような垂直的なアドレセンスの
物語を書いたのだろう
ゲーテは典型的なものを求める
科学者の態度でアドレセンスの典型を書いたのかな
眷属はたくさん自殺しているけど
さあ包丁を飛ばそう剃刀を飛ばそう
というとおかしいかもしれないけど
包丁や剃刀の流れる上に
ちゃんと「星に誓いを」の流れ星も計算尺のカーソルのように
流れているのが見える
だから包丁が飛ぶのも悪くない
一家に一丁の包丁は
ごはんを作る隙に
包丁群になって
街の上を飛んでいる
血がバーチャルなものでありますように
夢の陶器(2000.10.10)
家並みが見えるね
キリコは言う
さくさくした
パウンドケーキのような
雲にはトゲの稲妻が光り
皿に載る花火付きのケーキは
二段重ねで足でつぶせる紙みたい
ところで
あんたって
私んちを通りすぎて
すぐに私のことは忘れて
ひとりで水と遊んでいるでしょう
亀甲の一区切りにあんたは
たたずんで
もやもやしてるのかな
お話を吸うスポンジケーキ
それで
そこから小さい小さい鳥が飛ぶ
でも
それはやっぱり霧みたいに見えるのね
キリコは五百円玉を
出窓の貯金箱に落とす
ざらついた夢の陶器
雨(2001.6.19)
道を渡るとき
生理と住まいについて
ピントが合う
それは
強い度のメガネを急にかけて
道の凸凹がはっきり
見えるように
jellyfish はゆらゆら流れている
いけないね
jellyfish
こりこり食っちゃう
そこいらじゅう雨の雫で
玄関から外に出るたびに
髪が濡れる
まだもやっている
クラゲたち
ついついと
鉛筆画になっていく
遠い夕立(1998.7.21)
靄が通り過ぎ
木々が水を含む
遠い建物の向こうに
夕立が
細かいガラスの傷のような
雨線を示すのが見える
猫に半分食いちぎられたカナブンは
壊れたボタンのように床に落ちている
おびただしい風鈴の音は
波になってくるが
風を
送ることはできない
風鈴は求めてもいない
ただせわしなく
7月を占める
遠い夕立が
子どもたちを軒下に
導くにしても
風は左から右へ
ガラスの音を運ばない
有機音を収集した円盤が
短い話のように街を洗い
移動する雨足のなかで
おしゃべりしている
散歩のコース(1997.2.25)
考えながら
天秤が揺れる
昼の月が片方に
ずれて
足が前にでる
濡れた鼻はすっかり定位されて
かすかな季節の移りを感じている
金網で囲まれた公園で放すと
子犬のころのようにはしゃいだ
見る目が哀れだ
そんなに信用している
そういえば北東の学校を回り
桃の花の咲く畑のそばを行き
信号を渡って歩くコースから
珍しくはずれた
おまえが子犬のころ
いつも駐車場を横切り
金魚屋の前を通って
そこから東にまっすぐ戻ってくる道
ふとその南西の方向に
歩いている
うらぶれたその方位
時計はそこに戻ってきたのかもしれない
辰巳
八犬伝の方位
ほとんどそちらには足を向けたことがない
北西は安らぎだ
あの方が年をとらないように真に望む方角
天秤が
少し水をこぼす
歩くコースを
おまえはこの影に沿って
楽しんでいる
ヒノキの上空の鎌のような雲が
こめかみを刺し
ある温泉街の話(1997.9.16)
標的の人形が
ゆっくりと回る
たぶんまだ中学生の女の子が
夜の仕事の手伝いをしている
坂に上っていけばそこは色町だったという
色素を思う
少女の顔の色素を
みんなまとまらない話を
携えて
清算するまで
時間を潰す
頬に傷のある三日月
ある夕刻
文字で館を破壊している
ある夜明け
叙するものは
手によって壊され
標的は
水茎によってすべて落とされる
静脈の地図(1999.8.10)
アゲハチョウの形をした
張り紙を見たことがある
僕はその人を
垂直に生える草のように捉える
でなければその人は
僕の断層に耐えられないだろう
あの張り紙には
幾筋もの僕の
ゴムみたいになった静脈の地図が
描いてある
そう
山の駅の東側の木の壁の
張り紙
矢のように平面を解析し
耐性を増した血管が
みずうみのある街を
描いている
C棟3号(2000.11.21)
さて会が終わると
抱いてきた子猫がいないのに気づく
瞬間的に客は庭園の向こうに移動してしまった
捜しはじめる
この建物は長くて8階ぐらいまである
入口と反対方向に向かうと
すぐ和風の造りにした寄席の階に着く
ここにも誰も来ている人はいないが
メモが落ちていて
C棟3号
と書いてある
C棟とは斜め上の鍵状の向こう側である
たちまち8階のバルコニーに出る
すると
どこからともなく
捜していた子猫が現われた
よかった
抱きあげて1階分下りると
すでに1階である
そういえばいとこのJさんが1階の入口付近で
展示会を開いているとのこと
覗くと展示会の部屋は菓子の空き袋が散らかっている
ぼくは猫に
「帰りにペットショップでカゴを買わなきゃ
抱っこじゃ疲れるよね」
と言うと
子猫は初めて日本語をしゃべる
「そうだよ
初めからカゴで連れてきてくれれば」
それをきっかけに
ずいぶん話したと思う
「あの人は目が見えないの?」
ぼくは「君も拾ってきたときから片目だし」
猫の目を見ると見えるほうが少し白目がちになっている
でもすぐにきれいな目になる
抱いて外に出ると
予告編がはじまっている
紅い車で水流を走る話だ
黄色いネオンと白い皿(1997.9.9)
火を使っていないのに
換気扇が回っている
曇りガラスの向こうには黄色いネオンが
ちかちかして
じれている
わけありの空白
の
罅のなかに醜のヴィジョンが
ほぼ等間隔で並んでいる
櫂を一突きすると
船は瀞にすーっと動き
細い竹藪に舳先は流れる
わけありの
しとねでは
映画のなかで
わけありの男女は
血を見るが
いま
台所で
換気扇が回って
インスタントコーヒーの粉を
カップに入れている
白い皿に
クリームを一筋流してみる
その皿にネオンがちかちか
またたいて
タバコを夜中にふかす
静物の図柄だ
五月挽歌(1997.5.13)
骨壺の包みは
マニエリスム好みのNさんの書棚には
合っていなかった
線香はしゃれた官能的な香ではなく
親しい匂いで
その煙の形は
美術書の背にマッチしている
つげ義春の漫画で
死体の周りで饗宴し
ついにはふざけて死体を持ち上げたりする
というのがあったが
いたずらに
死を何かの色に染めるより
彼の「ゆいごん」のように
何もやらないのもいい
というようなことを連想しても
いいものかどうか
死者に気兼ねするのだが
死者もふだんの僕を
僕と同じ距離だけわかっていなかったろうから
仕方ない
僕が知るのはそれだけだ
Nさんはどんな人であるのか
窓は開け放たれていた
窓の向こうにやはり街路はつづく
遺品のジーンズをもらった
僕はあなたの言葉と
あなたの愛した女性に会いに
この部屋に来た
そのように街路がつづいていたのだ
雑踏(1998.5.28)
下着姿で歩く
僕を奇態な姿だと
だれも指摘しないので
下着のまま
雑踏までいってしまう
あるいはズボンの代わりに
パジャマのまま
プラットホームを歩いている
通り過ぎたあと
みんなそれが
イリュージョンだったと
納得して事務所に急ぐのだろう