Oct 10, 2021

ベアトリスの肖像画

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今回はモディリアーニが
ベアトリス・ヘイスティングスを描いた肖像画の紹介。

モディリアーニは22歳でパリに来て、
画家として暮らし始めたんだけど、
20代後半は彫刻に専念していた。
彫刻を断念したのが1914年で30歳の時。
それまでももちろん絵も描いていたけど、
この頃から絵画に専念して、
様々な技法上の模索がはじまる。
そんなとき、
1914年の7月頃にモディリアーニは、
ベアトリスと知り合い、一緒に暮らし始めたの。


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「右手で頬杖をつくベアトリス・ヘイスティングス」(1914)

出会って間もない頃、
ベアトリスを描いた最初の肖像画、
といわれてる。

技法も面白いけど、
見ていて愉しくなるような、
親密な感じが伝わってくるね。


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ベアトリス・ヘイスティングス(1879−1943)の写真。

モディリアーニと出会ったのは、35歳のときだった。
南アフリカに生まれ、イギリスに移住して、
オックスフォード大学をでて、
「新時代」という雑誌の最も多作な寄稿者になった。
内容は、英語版ウィキペディアによると、
通信、パロディ、詩、論争、旅行記、
散文小説、劇的対話など、多彩だったようで
1914年パリにやってきて、
アリス・モーニングという筆名で、
「パリの印象」という見聞録を連載していた。
二人の生活は1916年まで二年ほど続き、
その間にモディリアーニは、
ベアトリスの肖像画をおよそ13点描いた。


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「ベアトリス・ヘイスティングスの肖像」(1915)

この絵もにこやかだね。

「「私のことを美しくスケッチしてくれる人がいる。
浮世の飾りは何も身につけていないが、
私はまるで聖母マリア像のようだ」と
アリス・モーニングの筆名で、
ベアトリスは1914年11月の記事に書いている。
ダンテの詩句をそらんじていたモディリアーニにすれば、
理想に近い形で、ベアトリスという詩的霊感を
手中にしたと思ったとしても、自然であったろう。」
(キャロル・マン『アメディオ・モディリアーニ』)


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「ベアトリス・ヘイスティングスの肖像」(1915)

この絵の顔の表情はちょっと微妙。

「制作中の彼はつとめて平静を装ったので、
ベアトリスの弱さや不安、
そして向こう見ずな振舞から
一人の人間としての全体性までを、
よく理解しようと努力した。
そして彼女のこうした感情の起伏を、
彼だけが察知できる暗号として把握して、
画面の中で構成している。
すなわち、微笑、ひきつった笑い、
彼を受け入れる満ち足りた眼差し、
厳しく批判的な小さな丸い眼、
物をよく見ようとして伸ばされた首、
さらには画面の背景に描きこまれた硬直した柱や
柱頭の揺れるような茎状飾りなどによって、
ベアトリスのそのときどきの心理状態を
表しているのである。」
(キャロル・マン『アメディオ・モディリアーニ』)

すごい解説だね。
たしかにいろんな感情の起伏が、
暗号のように、こめられてるといえばいえそうな、
奥行きが伝わってくる。


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「ベアトリス・ヘイスティングスの肖像」(1916)

こんなふうに少女のように描いたのは、
一種の理想化願望じゃないか、という
アネッテ・クルシンスキーによる評がある。


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「ベアトリス・ヘイスティングスの肖像」(1916)

「しかしいっそう確かに思えるのは、
ベアトリスを高慢な、というよりもむしろ
自信に満ちた優雅な女性として表している肖像画こそが、
彼女の本当の性格を示しているということだ。
、、、モディリアニはここで画面の外に目を向けている
彼女を、暗色の長方形の背景からくっきりと
浮かび上がらせている。
ベアトリスはやや後方にそり返り、上の方をボタンで
留めたコートが彼女の厳格でしかも精力的な
印象を生み出している。」
(アネッテ・クルシンスキー「アメデオ・モディリアニ」
p58)


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これは当時のものと思われるモディリアーニの写真。
壁にはひとつまえに紹介した作品がかかっている。


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これはベアトリスの写真。
書き込まれた文字によると、
1898年、19歳の時のもの。

「二人は知り合うとすぐに生活をともにし、
それは2年間続いた。
それ以前にもモディリアーニは何人もの
女性と交渉をもったが、それらは一過性の
関係にすぎなかった。
モデルや芸人、娼婦や詩人と称する女性が多かった。
ベアトリス・ヘイスティングスは芸術、
文学、詩、哲学などをモディリアーニと
論じることができ、女権拡張論者としても
一家言をもっていた。しかし、
のちに自分の考えを変えてファシズムに共鳴し、
1943年に自殺した。
、、、ジャンヌ・モディリアーニによると、
ベアトリス・へースティングスに対する評価は分裂している。
一方でモディリアーニを酒や麻薬でだめにするように
仕向けた悪女であり、
他方でモディリアーニの放縦な生活を摂生させ
仕事をさせるように務めたよき伴侶であった。」
(島田紀夫「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」作品解説p86)


解説)
今回も紹介したい肖像画や
写真が多くて、
フィギア撮影はあとまわしに。
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