Oct 20, 2021

ルニア・チェホスカの肖像

e1

マンスフィールドさん。
今回はモディリアーニの描いたどんな肖像画?

ルニア・チェホスカっていうひと。
どうしてその人を?
何点も作品が残されてるし、
それを集めて紹介するのも
面白いかなって思ってね。

ルニアはポーランド出身の女性。
夫が出征していた1917年当時、
夫の友人であるズブロフスキと知り合い、
彼の紹介で、モディリアーニを知った。


e2

「ルニア・チェホスカの肖像」(1917)

「まったく自然のなりゆきで、彼女は
モディリアーニのためにポーズを
とったのだが、その背の高い細身の体つきが
理由で、モディリアーニのお気に入りの
モデルのひとりとなった。、、、。
ここには、輪郭の描かれていない澄んだ瞳、
半分開かれた口、しなやかで自然な態度といった
非常にモディリアーニらしい特質が
いくつも認められる。なかでも
特徴的な長い首は、彼女の威厳に満ちた物腰や、
高い位置にシニヨンに結い上げられた髪によって、
いっそう引き立って見える。そして、
それらすべてが美的感動をもたらす。
美と均衡こそが、この肖像画の特徴である。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説p140)


e3

「ルニア・チェホスカの肖像」(1917)

「ルニア・チェホフスカは、
ポーランドの革命家の娘で、
その夫は第一次世界大戦のあいだ前線にでていた。
、、、ルニアは、ズブロフスキーの妻ハンカの
友人となり、パリのポーランドからの亡命者
サークルに移り住んだ。
モディリアニは彼女の肖像をいく度となく
描いている。」
(「モディリアニ展」カタログ作品解説より)


e4

「ルニア・チェホスカの肖像」(1917)

「、、、彼女は画面に対してやや右寄りに
体を寄せ、曲げた左肘を右手で支えながら
左手を頬にあてて、思慮深く画家を見つめている。
こうしたしぐさは彼女特有のものであり、
デッサンでも同様のポーズがしばしば見られる。
しかしモディリアーニにとって、心から
敬意を抱く女性をモデルにして、
しかも制作中に対話を楽しんでいるような
画面は、この作品が最初で唯一のものである。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p223)


e5

「ルニア・チェホスカの肖像」(1919)

「ルニアの肖像でもっともすぐれているのは、
1919年に制作された宗教美術を思わせる作品である。
本質的に、この肖像はジャンヌの横顔を描いたものと
良く似ているが、おおむねルニアを描く場合、
表現におけるデフォルメがほとんどカルカチュア
の域に達しているにもかかわらず、
この作品ではむしろルニアの貴族的容貌を強める
効果を生んでいる。ルニアは自分の内面を
見つめているようであり、その顔の目鼻立ちは
実に巧妙にまとめられていて、あたかも
古代エジプトのネフェルティティ王女像を
彷彿とさせる。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p223)

王女像って。


e6

「ネフェルティティ王女像」

紀元前1345年に制作されたと
されている古代エジプトの胸像だね。
たしかに、そういわれると似てるね。


e7

「ルニア・チェホスカの肖像」(1919)

「彼が晩年に描いたハンカとルニアの
肖像には、それぞれ大きな相違があるが、
それはモデルの二人の個性の違いに
よるものではなく、純粋に画家の
表現様式の違いによるものである。
ハンカの肖像の方がいくぶん具象的に
描かれており、画面の三次元的な奥行きも
わずかに深い。、、、ハンカとルニアの
最後の肖像を見くらべてみると、両者ともに、
その顔立ちが一段とほっそりしてきており、
全体に画面はいっそうマニエリズムの
傾向を強めている。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p223)


e8

「ハンカ・ズブロフスカの肖像」(1919)

比較のためにのせてみました。
解説読むと、よくわかるね。


e9

「ルニア・チェホスカの肖像」(1919)

ルニアは回想録をのこしていて、
そこには、1919年にモディリアニが
ジャンヌをニースに残して単身パリに
帰ってきた頃の出来事が記されているという。

「ルニアはいつものようにつとめて慎重に、
二人がしばしば会っていたこと、そして
モディリアーニが何度も彼女を描いたことなどに
ついて書いている。」
「実際、二人の関係はとても難しいところに
きていた。しばらくすると、こうした関係に
耐えられなくなったルニアは、表向きは
療養を理由にして、南フランスへ旅立つことになる。
このときモディリアーニは、自分も休息を
とりたいので彼女と同行したいと、
ズブロフスキーに伝えている。
こうした成り行きを知らなかったジャンヌが、
ひどく驚いたとしても、それは当然であった。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」p236)


f1

今回は主にキャロル・マンの評伝から
引用したけれど、キャロルは、
1919年に制作された3点の「横たわる裸婦像」も、
ルニアをモデルにした可能性がないわけではない、
としたうえで、「しかしそれ以上にありうることは、
モディリアーニ自身の欲望(おそらく彼女の欲望
でもあった)を視覚的に表現したものではないか、
ということである。」と書いているの。

微妙な推測だね。

解説)
今回も肖像画の紹介になりました。
Posted at 21:53 in n/a | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
http://www.haizara.net/~shimirin/blog/kirita/blosxom.cgi/20211020215215.trackback
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.