Oct 13, 2021

男性の肖像画

e1

つぎは男性の肖像画だね。
マンスフィールドさんに
話してもらわなくちゃ。

ということで。。。


e2

「チェリスト」(1909)

「1909年にモディリアニが描いたチェリストの
肖像画は習作というより大作であり、
構図や色彩の選択にはっきり見てとれるように、
セザンヌの絵画を思わせるものになっている。
、、、セザンヌに対するモディリアニの尊敬の念は、
画面の構図にはっきりと表れている(注1)。
彼が採用したのはセザンヌの遠近法や色彩ではなく、
むしろその垂直線の用い方であり、また真正面や
真横から対象をとらえる厳格さだったのだ。」
(アネッテ・クルシンスキー「アメディオ・モディリアニ 裸婦と肖像」P20)

まだ彫刻にうちこむまえの作品だね。
これ肖像画?
そこはそれで。


e3

「男の頭部」(1915年頃)

カタログの解説では、
第一次世界大戦が勃発するまで
パリに住んでいたポルトガル人の画家、
ジョセパシェコの肖像ではないかと
推測される、とされています。

「この作品は、肖像画というよりはむしろ
あるひとつの象徴に近いものである。
そのこわばった暗い表情や、単なる黒い穴として
表された目からは、モディリアーニが原型として
心に抱いていたプリミティブな仮面を
思い起こさずにはいられない。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P116)

彫刻を断念して絵画に専念しはじめたのが
1914年。その翌年に描かれた肖像画。

「男性のモデルの場合は、
のちに著名になる芸術家や文学者、
それに美術愛好家や画商などが多かった。
彼らは1910年代半ばから30年代前半にかけて、
モンパルナスやモンマントルにたむろしていた。」
(「アサヒグラフ別冊モディリアーニ」作品解説p90)


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「画家マニュエル・ウンベール・エステーヴの肖像」
(1916)
バルセロナ出身の画家。

「まさしくイベリア人的な厳格さや、やせてとがった
メランコリックな顔立ちが、背景の暗い赤褐色によって
さらに引き立って見える。モディリアーニはこの手法を、
本作を描いた1916年によく用いている。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P124)

どこかでみたことある、
と思うから、きっと似てるだろうな、
と思うのかな。


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「ヴェルホルスキ伯」(1917)

「表現主義的で、はっとさせる力強さをもつ
この驚くべき肖像画は、レオン・ポナの生徒であった
カジミール=ジュール・ヴィエルホルスキ伯を
描いたものだろう。
ヴェルホルスキは、世紀の変わり目に活躍した画家で、
彼の手になる油彩画がフランスのいくつかの美術館に
所蔵されている。
彼は、建築家ユルトレとともにパリのレストランの
室内装飾の仕事をしていたが、
モディリアーニと出会い、モデルとなった。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P136)


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「コンスタン・ルプートル」(1917)

「額装屋で画商のコンスタンス・ルプートルは、
モデリアーニに60フランを用立てたところ、
その埋め合わせとして肖像の制作をもちかけられ、
ポーズをとることを了承した。ルプートルが、
貧困にあえぐモディリアーニを哀れに思って
いたことはあきらかである。」
「ルプートルは、座って膝の上で手を組むという
伝統的なポーズをとっている。しかし、
構成の厳密さや、細部の描写、顔の表情、背景と上着の
色のグラデーションといった点にかなりの注意が
払われているにもかかわわらず、ここには
日付も書き込みもなく、署名も記されていない。
それゆえに、疲れて嫌になったモディリアーニが、
途中で描くのをやめてしまったような印象を受ける。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P148)


e7

「つえを突いて座る男」(1918)

これは、第二次大戦中にナチスによって
略奪された絵画で、
2016年に「パナマ文書」がきっかけで、
所有者が発見され、話題になった作品。
推定価格は2500万ドル(約27億円)。
!!


e8

「ロジェ・デュティユール」(1919)

「デュティユールは洗練された趣味をもつ大資産家で、
モディリアーニの初期の作品をかなりの安値で
入手したことが知られている。」
「1919年のこの作品では、抑えめの色調や
とても薄い塗りのマチエール、少し頭をかしげた
ポーズなどから、モディリアーニにとって
2番目のこの熱狂的なパトロンが、権力者でありながら
親切な心の持ち主であったところがうかがえる。」
(「モディリアーニ展」カタログ作品解説P192)


e9

「マリオ・ヴァルヴォーリの肖像」(1919)

「彼(モディリアーニ)の側にはジャンヌが黙って座り、
ただ彼を見つめているだけだった。
彼女は医者に見せようともしなかった。
マットレスには、空になった酒の壜が散乱し、
イワシの油漬けの缶詰が半分開けられたまま
置かれてあった。
彼は咳き込んで血を吐いたが、
その部屋は凍るほどに寒かった。
イーゼルには、まだ絵具の乾ききらない
ヴァルヴォーリの肖像画があった。」
(キャロル・マン「アメデオ・モディリアーニ」P272)

これはモディリアーニの死の一週間ほど前のことで、
このあと連れてこられた医師に結核性髄膜炎と診断され、
意識不明になって病院に運ばれたモディリアーニは、
そのまま意識が回復することなく、
1920年1月24日土曜日の夜8時50分に逝去する。

ヴォルヴォーニは、ギリシャの音楽家で、
1917年に描かれた素描や、
1920年の新年を共に居酒屋で過ごした際の
素描も残されている、最後の飲み友達といわれる。

この肖像画を最後に手がけていたんだね。


解説)
黒っぽい服装の肖像画が多くなりましたが、
なるべくカタログで作品解説や
エピソードのあるものを集めてみた
偶然の結果でした。

(注1)セザンヌへの傾倒ぶりについて、
1906年のはじめ、モディリアーニは
セザンヌの「赤いチョッキを着た少年」の
水彩による模写を作り、いつも持ち歩いていて、
会話がセザンヌに及ぶと、ポケットから
そのぼろぼろになった複製をとりだして、
聖像のように掲げてキスをしたという逸話が
キャロル・マンの評伝「アメデオ・モディリアーニ」
(P65)にのっていました。
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