Oct 10, 2008

緒形拳さんと詩

7日の朝テレビをつけて驚いた。緒形さんが亡くなったというのだ。 1週間ぐらい前に、竹早高校の親友で、同じ演劇部だったクロちゃんと、電話で彼の話をしたばっかりだった。昼近くなって、クロちゃんに電話したら、ご主人が、朝電話をしたようでしたが、今は医者に出かけています、とのこと。行き違いだった。けっきょく電話で話せたのが夕方の6時近くだった。
高校のわたしたちの学年に緒形さんが居たということは、奇跡のようなことだったと、クロちゃんは言う。演劇部ではいろんなことがあった。クロちゃんはクラスも一緒だったので、いっそう縁が深い。リチャード3世を見に行ったときは、銀座で花束を買って楽屋に届けたこともあった。時間が早すぎてまだ見えていませんとのことで、けっきょく会わずじまいで、花束だけ預けた。
わたしたちは陰の応援団で、いつかファンクラブ作ろうねとも話していた。
ある年のクリスマス近く、封筒が届いて、緒形さんが書を送ってくれた。素敵なクリスマスプレゼントだった。クロちゃんが『冬の集積』を緒形さんに渡してくれて、そのなかから、3篇を薄い和紙に、特徴のある四角っぽい字体で、墨で書いてくれてあった。添えてあったお手紙に、ぼくはこれからだと思っています、100歳までやりたい、とあったので、それで、わたしは7日の朝のテレビの項目の最後に出た文字が信じられなかったのだ。
1枚だけの手紙だが、高校のときどんな自分だったか、わたしがどんなふうに見えたか、チベットに行って、これを書いたとか、チベットがとてもよかったとか、いろんなことが書いてある。詩を書いてもらったことも感激だったが、このお手紙が素晴らしい。
テレビで俳優の方が、寡黙な人だと述懐していたが、たしかに、緒形さんは、人前でしゃべるより自分で文章を書いたほうが自由だったかもしれない。
息子さんたちが、素晴らしいオヤジだった、人間としても尊敬している、と話されていた。高校の同級生だった私たちも、素晴らしい方でしたよ、と息子さんたちに伝えたいと思う。
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