Aug 31, 2009

シュペルヴィエル『帆船のように』

1919年26歳のときに出版された2冊目の詩集。若書きで、真率さsincéritéだけがとりえ、と詩人本人が後に語っているというが、76歳までの全作品を読んだうえで、振り返ってみると、なるほどと、その独特な詩才を充分味わうことができる。爽やかで初々しい詩の良さ。成熟期の詩は、かなりニヒルで、イマージュも飛躍しがちで、悲観的であるのに、まだこの頃は、初々しさが先行して、周囲への愛に溢れ、みずみずしい。人はこんなにも最初は柔軟な感情に満ちているのかとほっとする。その証明のような詩集。ウルグアイのモンテヴィデオ生まれで、生涯をパリと行き来してすごした。幼少時代の南アメリカの記憶が作品の独創性の源。南北大西洋を隔てて気が遠くなりそうな距離だ。そこに巨大なアーチが架けられている。「煙は消える 広すぎる青空に」、「柳に空色の長い花を咲かせるように…」鬱積した気持ちが吹き払われる。後藤信幸訳、1985年、国文社刊。
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Aug 29, 2009

すんなり秋には…

ならなかった。台風が接近しているとかで、無風の高温多湿。高齢の猫が一日中ガラス戸を出たり入ったりしている。居ても立っても居られぬという様子。下腹が熱を持っていて、さすってやるとようやく落ち着く。不妊手術の後遺症だと聞いた。人間の都合で断種させられて、17年生きてもこの苦しみ。申し訳ない気持ちで一杯だ。 秋になって少しすっきりした気分が訪れるのをじっと待つ。
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Aug 02, 2009

ジャコテの詩を聴く

7月27日(月)のヴォワデポエッツでは後藤信幸氏が6月に国文社から刊行されたフィリップ・ジャコテの訳詩集『無知なる者―附ふくろう・エール』を読まれた。この詩集は3つの詩集が一冊にまとめられている。オリジナルは3冊ともガリマール社で、さいしょの『ふくろう…』が1953年に出版されている。この「ふくろう」と題する詩はジャコテの代表作といわれている。今回この作品がこの詩集の序詩の意味を持つことを教えられた。私はふらんす堂のコラム《詩人のラブレター》第28回でこの詩をとりあげた。ちょうど1年前の6月である。後藤氏が2004年に『冬の光に―附雲の下の想い』を同じく国文社から発表された折、『ふくろうとその他の詩』が刊行されるのを心待ちにしていた。この2004年の訳詩集の手ごたえがあまりにも素晴らしかったためだ。待ちに待った出版といえよう。後藤氏のお仕事は原詩人への深い沈潜が訳文に香りを添え、聴いて楽しく、読んで深々とした思いに誘われる。ランボーやボードレールの訳は日本語としてすでに定着したとも考えられるが、この訳業もそうしたレベルのものであることがわかる。受け手として、心から嬉しい出版である。この夕べ、後藤夫人も同席され、香り高い夕べだった。この2冊の訳詩集を1時間ずつ、遡って読んでくださるとのこと、嬉しい企画である。次回は8月25日(火)。 ジャコテをひとことで表すには、日常の中の眼の詩人といえばいいだろうか。詩とは一人の人間の世界に対する眼差しである。その眼差しを持って生ききる人である。といえばいいだろうか。詩を書くものの心を正させる詩である。
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