Dec 25, 2005

23日は水仁舎の忘年会でした

とてもたのしかったです。内輪ふうの充実した会でした。北見さん、ごちそうさまでした。若者並みの食慾発揮して、遅れた人のぶんが足りなくなってしまって、申しわけなし。いちばん遠方から来た小川さんと有働は大目に見てね。この秋はちゃんと働いたので、気持ちがいいです。来年はどうなるか、未定です。ネットのほうは、別宅のコーナーで、ドウタンベルの小説についてまりこちゃんと往復会話体でやるつもり。もっと読まれていい作家だとおもいます。お楽しみに。当面はウロアンに1篇用意しなきゃ。しみりんさん、ぎりぎりですみませんが、「ジャンヌ」もウロアンでしたよね、柳の下のどじょうを狙います。
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Dec 19, 2005

「ピザンおばさま!」 ほか

2006年に発表した作品をリストアップしておこう。 ①「昼の時間」:「repure」2号2006年1月22日
②「紅ばら白ばら」:「現代詩図鑑」2006年4月号
③「ピザンおばさま!」:「ガニメデ」第37巻2006年8月
④「詩を生きる―柩・隠亡と吉行理恵」:「現代詩手帖」2006年6月号
⑤「わたしは狐、国道を走る」:山口市国民文化祭2006年6月応募
⑥「今、何を書くのか」:「街」61号 10周年記念特集号
⑦「少女趣味」:「repure」3号2006年7月2日
⑧「子狐、のぼり列車で」:「現代詩図鑑」2006年7~9月号
⑨「兄小林路易の思い出」:「レ・シナダ」会報14号2006年10月
他に、ふらんす堂ホームページの「詩人のラブレター」に月1と、ウエブマガシン「あそびすと」に週1で書いた。「repure」には「愛詩添想」として、ポール・ルイ・ロッシとマリ・エチエンヌの詩を取り上げた。
およそ、今年の書き物はこんなふうで、あと、俳句をずいぶん作ったがイマイチの感じ。
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Dec 10, 2005

日欧フェスティバルのフランス語詩人たち

九段内堀通りのイタリア文化会館が改装されて大変美しくなった。記念のフェスティバルに招待された詩人たちのうちの2人の作品を和訳した。ダラスさんとポルタントさん。お目にかかって話すうち、訳の間違いがわかって、訂正に走ったり、夕食をご一緒したりして忙しかった。ダラスさんは川の詩人。フランスの川は透き通ってあふれるようになめらかに流れるフランス語を生んだと歌いつつ世界を飛び回っている、クリヤでオープンな人。ポルタントさんはルクセンブルグ人で、繊細。対照的な詩人でした。私としては新しい血を入れたという感触。「ラ・メー」というタイトルのすごい分厚い詩集をダラスさんから贈られて、うれしい。北フランスのいろんなことが分りそう。でも、疲れた。
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Dec 05, 2005

江ノ島で雨に遇う

「街」の人たちと江ノ島吟行した。曇り空の寒い日。江ノ島にわたる橋の上で降り出した。江ノ島は箱根と同じで、名所旧跡が多くて、1回で全部はとても見切れない。午後からの句会で、たくさんの句を見て、江ノ島で見そびれたところが沢山あったのがわかった。雨にぬれたにもかかわらず、句会は活気があった。2次会、3次会まで出席して、自分の内部エネルギーがほとんど空っぽになったような気がした。水だって、ガソリンだって、時々使い切って空にしてから、また新しいの注げばすっきりするよな、と思いつつ、雨の上がった夜道を帰った。
愁いなし天の北極指す寒さ  薫
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Dec 03, 2005

町田図書館で

東京新聞の綴りを出してきて教えられたとおりに調べました。夕刊、日刊と調べていって、日刊の土曜版にようやくコラムを発見。リルケの詩が引用されていました。それではと、土曜を目指して繰って行くと、11月26日日刊の社説発言欄に中日新聞とまったく同じコラム発見。この内容については、「あそびすと」のまりこちゃんと話し合いました。どんな解釈をされるかとかに、あまりしゃか力にならないのが良い。良い詩なら、ストレートに100%丸ごと伝わるかもしれないが、そうでなくてもいい詩もある。要は、書いた側がはっきりコンセプトを自覚して居るかどうか。まりこちゃんの解釈は、「詩はおもての形ではなく、心の中身なんでしょう、大事なのは」で、一件落着しました。
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Nov 27, 2005

『スーリヤ』から

11月26日付け中日新聞のコラムに第4詩集『スーリヤ』の中の1篇の一部が引用されています。岡井隆さんの「けさのことば」というコラムです。どうぞよろしく。知らせてくれた春日井市の次兄に電話すると、「だがお前の詩は何だかさっぱりわからんな」とのこと、やっぱりそういことなのか!
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Nov 25, 2005

「メリザンドの娘」

1987年詩学社刊のわが第一詩集『冬の集積』から、しんがりの作品「メリザンドの娘」を、サイト「あそびすと」の有働のコーナーに採録してくださってあるのを読んで、馬鹿みたいに感心している。いいなーと思うわけ。再来年2007年になれば、20年前の作品というわけだけど、今こんなの書けないと思う。情熱がある、つやがある、真摯である、要するにポエジイがある。へえびっくり、と思った。手前勝手だけど、いいものはいい。素材も正確だ。それにおもしろい。魅力がある。まるで、他人事のように、自分の過去の作品を褒めるのは、もうそんな力を失った証拠だろうか。 このコーナーに取り上げてもらった作品のうち、これも第一詩集中の「古い手帳」という短い作品を、晩秋のパリで再読してくれた親友が、「思わずうずうずして」、フランス語に訳して送ってくれた。これがま た、すごくいい。ぱちっとしていて、クリスタルのボールのよう。へえ、わたしの詩ってこんなにいいんだ、と、これまたぼーっとなっている。いつか機会があったらお見せします。第一詩集ってやっぱりじぶんのいちばんいいものがぜんぶ出つくしてしまうものかもしれない。ではその後はどうしよう?そういえば「スーリヤ」になって、わかりやすくなりすぎたといわれたことがある。でもそのひと、以前、うどうさんのはわかりにくいからダメといった人なんだ。
夕方通りかかると、玉川大学のキャンパスの大きいもみの樹に、やぐらが組まれて、10人ぐらいの人が電飾を張っているのを見かけた。12月1日から点灯するそうだが、毎年すごくきれいです。こんなの見ると、うれしい。
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Nov 17, 2005

ロードスターで、走る!

今日の仕事の予定がキャンセルになって、ぽかんと空き時間です。
コマーシャルで、ソムソムソム、走る喜び!と歌っています。最近ではいちばん気に入っています。「スーリヤ」を書いていた頃、長男が置いていった中古のロードスターを使っていました。サスペンションの位置が低くて、ロードホールディングがいいので、ロードスターと名付けたとか。2人乗りのスポーツカータイプですが、あちこちに錆がでて、オリーブグリーンの車体もなんとなく惨めっぽく、わたしは自分の気分に合うのでまあ、気に入っていました。学生時代に免許を取ったものの、ずっとペーパーなので、運転はイサク、わたしは助手席専門でした。内装はクラシックで、温かみがあり、これは長男が最も気に入った所だったそうで。 今年、リニューアルされ、デグリーアップして、今年のカーオブザイヤーに選ばれたそうです。わたしが乗っていたころよりずっと高級車になってしまったのです。スズキが販促に力を入れて、さかんにテレビでこの歌を聞かせています。
その車は今は北九州の新設大学院の駐車場に雨ざらしになっているようです。人のなれの果て(?)を想像させられてしまいます。
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Nov 16, 2005

ドロップス氏がおもて、有働がうら

一昨日の書き込みを読み返して、違うなと思ったところがあります。定年退職して足を悪くなさったドロップス氏が、われ人生に悔いなしと正道を歩いています。筆の誤りと口を衝いて出てしまうわたしのほうは裏道です。いつも自分、自分と考えているので、冷静な判断がにごるのです。しかし、自分に適した生き方をして居るならば、どっちだっていいじゃないか。わたしは少々ひがんではいても、かなり幸福な毎日を過ごしているのだから。
あそびすとのほうのコーナーに今までの5冊の詩集から1篇ずつを選んで載せてくださってあります。プロデューサーのまりこちゃんは言います。詩集って電車の中で読むのにいいね。1行読んで、窓の景色なんか見ながら、ああだコーダといろいろ思っているのって楽しい。それに、うどーサン、「ウラン体操」はいやに攻撃的だね。5冊の中では「スーリヤ」だけがちょっと違うような気がする。どうしてかな。あと、カッコは使わないほうがいいんじゃない?カッコって何か思い入れがあるんで使うんでしょうが、カッコなんか使わないで、ちゃんと言葉で言ってよ、って思う。避けちゃうのよね。
今まで詩なんか読んだこともなかったと云いながらの批評、するどい!
と、大変幸せな気持ちです。
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Nov 14, 2005

「現代詩図鑑」9月号に

掲載していただいた「筆を選ばず」という詩が好評をいただき、うれしいです。自分でも、素朴な詩ではありますが、今年2005年春の記憶として、大切な作品です。ドロップス氏と自分との、つまり男女の社会的な生き方の微妙な違いを、ふだんの生活の中ではっきり感じとったシーンだったのです。この中年の男性は、おそらく私より、数年若いひとで、定年後まだ数年しか経っていないと思います。それでも、「あやまり」と「えらばず」の差はくっきりとしています。結論を言えば、ドロップスもらってよかった。ハッカをまぜて3粒、おいしかったですよ。わたしが自分の人生を失敗だったと感じているのと、ちょうど裏側で、からだにダメージを受けながらも、わが人生これでいいのだと自信を持てる人がいて、なお、周囲に対する感性と積極性を失わないで生きていく、自分とは違うけれど、うれしいことだと感じるということなのです。あれから酷暑をすごして、今は朝晩冷えますが、スーパーの棚でサクマドロップの缶を見るたびに、五月のお天気のいい午後のことを思い出しています。
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Nov 10, 2005

小菊が群れて

都合で、いつもは夕暮れ時の買い物の時間を早めて、午後に入ってすぐに出かけると、時こそまさに秋麗。 お天気がいいので、宝石のような時間のなかに居る。郵便局、宅急便、スーパー、コンビニでコピーと、用事を済ませ、駅前通りの賑わいにひたり、家に帰るのが勿体ないなーという感じで、でもレジ袋両手で振り子の婆さん人形のようなスタイルではレストランに入るのも気が引けて、通りなれた道を歩くうち、いままで行ってみたことのない角を曲がってしまう。行き止まりで他人の家の門前に出てしまい、ばつが悪い思いをするのも嫌なので、通り抜けられるかどうか、念入りに観察して道を選ぶ。急勾配の階段だったり、坂だったり、鋭く折れた曲がり角だったり。こんな入り組んだ細い道を歩こうと思うのも、秋のきれいな午後に誘惑されてのこと。こんな道どりは面白い。30数年の間近くに居てもきずかなかった風景に出会う。家々の周りに植えられた草花の風情はなんともいえない。今の時間なら人気もなく静まり返っている。いちばん目を引かれるのは満開の小菊だ。この乾いた秋の空気との取り合わせが絶妙ではないかと近寄ると、懐かしいにおい。小さな蜂がぶんぶんいって。抹香くさいと表現されるのだろうが、まっこう臭さがうれしいのだ。他の季節の散歩では味わえない、この「秋の」散歩は日常のなかに隠された至上の時だ。家に帰りつくと、わが家のボロさに、真夜中を過ぎたシンデレラの気分を味わわされるのだが。でもこのギャップ、まさにポエジーでしょ?
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Nov 01, 2005

ポール・ルイ・ロッシ 『夜の顔』

 ロッシさんから新しい詩集が送られてきた。フラマリオン社 octobre 2005,"Visage des nuits"で、オレンジ色の表紙のかなりヴォリュームのある本。外出のたびに持って出て、かどが白く擦れてきてしまった。前詩集の"La rivière des cassis"も美しい詩集だった。ロッシさんの文は claire という言葉がいちばんぴったりすると思う。洗い流された、といってもいい、きれいな水で顔を洗うような気分のするフランス語なのだ。けっして七面倒くさくない。ただこの詩人は、文体が年代によってすごく変るので、どの年代をとって、この人はこういう文体、と言い切るのが難しい。それがネックでなかなか訳がつけ難い。最近はすごくシンプルな短い詩と、詩的な散文の二つのタイプにまとまってきているようにも見える。この人は過去現在未来の人物を自ら生きてしまうみたいなワールドがあり、人の人生のある空白を読むような魅力がある。印象に残るのは、故郷ナントの街のそぞろ歩きで、中世にジル・ド・レーが処刑前に収容されていたといわれる塔があり、その高い窓からロワール川が見える。この景色を狂気の犯罪人はどんな思いで眺めただろうかというくだりで、自分もそこでそうやって景色を見ているような戦慄を覚えたのだった。そんな風なことがしばしばあって、怖い。
しばらく仏文の手紙を書いていないので、気になりながらまだお礼状が書けない。
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Oct 28, 2005

よいお天気

今秋は秋晴れが少ないので、貴重な一日です。松田山のハーブ園に行きたいと思っていても、まだ実現していません。この秋晴れに図書館通いとは、何と因果な。一昨日は夜8時の閉館まで粘って、そのせいか、昨朝はイサクをあやうく遅刻させるところでした。きょうもこれから。でも8時はやめようと思っています。
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Oct 18, 2005

「あそびすと」ふたたび

「あそびすと」は児玉さんと檜谷さんがやっている、若いサイトです。おふたりともどちらかといえばビジュアル系(児玉さんはすごい読書家)で、詩は今まで縁がなかったけど、読んでみたら面白いね、ということで、わたしも「詩人」(ふだん詩を書いているぐらいの意味で)として参加させていただきました。 Qui est-ce, Madame? viva asobist/vol3. これは冨澤さんが見てくださって、作ってくださったアドレスです。わたしの表紙には桐田さんがバナーを付けてくださいました。いろいろな遊びを集めて歩くサイトです。気晴らししたくなったら、行ってみてください。散歩で出会う道ばた植物もあります。
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Oct 12, 2005

物思う季節

 年甲斐もなく、馬鹿なことを書きたくなるのは、幾日振りかで晴れたから。心が弱くて、いちいちお天気が気になります。 久しぶりに秋晴れ。こんどの詩集「ジャンヌ…」について、希望を持って終る、というふうに読んでもらって、自分もやはり、前向きに生きてきたんだなと気が付きました。本人にも分らない暗中模索も、こうやって幾年かのスパンで透かしてみると、見えてくるものがあるんですね。神の眼と云ってしまいたくなるような周りの視線に支えられて生きているんだな、という「気づき」を持たせてもらえました。わたしにとっては「紙の眼」ですか。お灯明をあげたいです。ネクラの下に大きな明るい空間があった、いまそんな気分を味わっています。ちょっとおおげさですが実感をこめて:
ようやくに肉体ほろぶ胡桃割る みなと
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Oct 04, 2005

あそびすと

友人のご紹介で、「あそびすと」というサイトに、インタビューを載せていただきました。先日猛烈な残暑の日に取材をしてくださって、わが現状をかなり正確にレポートしていただいてあると思います。いずれこのコーナーとリンクしてもらう予定です。「あそびすと」は、自分らしく楽しんで生活しようという人たちのアイデア集のようなサイトです。年代は、40代以上がメインですが、以上のほうはサイトと併走。ちょっとしぶい、明るい記事満載ですので、一度訪れてみてください。わたしの記事は期間限定で、たぶん10日ぐらいには後ろに引っ込みます。
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Sep 29, 2005

水田喜一朗さん

23日に亡くなられ、今日が告別式でした。お天気もよく、静かないいお葬式でした。この夏の初めに同人誌をいただき、少しお加減が優れないご様子で、気にかかっていました。3年前兄路易が死んだ時、慰めのお手紙下さいました。留学時代ご一緒に写っている写真をくださいました。古い写真で、古き良きパリの香りでした。わたしも、こんな風なお葬式してもらいたいな、と思いました。最後まで、シャールをもっと読むとおっしゃっておいででした。
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Sep 22, 2005

蚊に刺されて

 この夏は蚊に食われることが多かった。理由は、どこか涼しい草原に避暑に行ったわけでも、ほっておいた別荘に久しぶりに出かけて家の周りを家族総出できれいにしたわけでもなく、そういう身分ではちっともないので、あいかわらず、道路より低い穴倉のような自室で机にこびりついていたに過ぎない。では、どこで蚊に刺されたのか?理由は、下側の隣家との間のブロックがゆるんで、落ちかけている、なんとかしろと、再三催促されて、春の初めに、しかたなくブロック垣を積み直したことによる。引っ越してきてから植えた椿、あるいはいつの間にか生えた実生のイイギリ、40年ちかくが経ち、窓を蔽って西日よけにもなり、いい感じだったのに、と名残りを惜しみつつ、根こそぎにした。(抜くために大金をはたいた。)駄目な子ほど可愛い、の植物版で、この野生の素性知れずの駄木たちの生命力に感嘆しながら暮らしてきたのだ。ところが、駄木はだぼく、根が張りすぎてブロックを押し出し、このままにしておくと家のコンクリートの基礎だってあぶないよ、と専門家に脅された。奥さん、もう大きい樹を植えちゃダメだよ。とありがたい忠告とともに、2ヵ月かかかって工事が終った。ほりあげた土を戻したまま、この夏を、土肌をむき出しにしたまま迎えた。びっくりするように、藪が茂った。赤まんま、露草、モントフリージヤ、セージ、みずひき、カタバミ、ススキ、何でもありに伸びまわり、咲き狂って、それはそれなりに美しく、時に見とれていた。土が軟らかいので、風に乗った種が根を張りやすかったのだろう。しその葉まであるので、ときどきいただきにこの藪に足を入れると…地団駄をふみ続けなければならないほど、残酷なほど噛まれて。秋の彼岸を明日にして、まだまだ、足も腕も赤い斑点だらけにして、喜んでいる。この痒さは自虐的な快感ではないか。
十五夜や失敗ばかりするわたし 薫
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Sep 12, 2005

俳句は、詩はと

分けて考える必要はないけど、同じコトバという文化を使ってする遊びでも、表し方は違うと思う。俳句は日本独特の表現形式で、様式(形式)美を追求することを主眼にする。詩は、自我、「私」をスタートにする。形式は製作の過程で内的に流れ出てくる。俳句のようにあらかじめ洗練された枠が与えられてはいない。だから詩と俳句をスタートの時点でごっちゃにして居ると、どちらも「もどき」しか作れない。表現者は明確な自覚の上で作業を開始しなければいけない。詩は自然に湧いてくるもの、さいしょの1行を神様が書く、とかの銘句に惑わされ、自分を甘やかしていたのかもしれない。近ごろ少し気持ちが整理されてきている。
素秋なり屋根のはざまの明かるくて 薫
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Sep 02, 2005

フランソワ・オゾン

の映画『ふたりの5つの分かれ路』とは、何とぼけたタイトルにしたことだろう。原題は『5x2』。このほうがずっと明快なのに。たぶん、3,40代の女性客をねらったネーミングなのだろう。それほどに女性上位のストーリー。あるいは、男の心にしつこくこびりついた「永遠の女性」のイメージ。それほどにヒロインの女性は美しい。というより、フランス男がどんな女性を美女と思っているかがこれほどはっきりわかる映画もあるまい。ギリシャ系かなと思われる、金髪碧眼の大柄な女性。大型犬か、白豹のようだ。そして咬みつく。移り気で、我慢しない。欲しいものは盗る。だが上品で、知性もある。しばらく男を幸福にさせ、そして終る。正直でいいかも。切れの良いスコッチのようだ。音楽が際立つ。まず、ボビイ・ソロの60年代の甘いメロディー。これドーナツ盤で、歌詞を暗記したことがある。シチズンにイタリアの技術者が来ていた頃。そしてその系統のラインアップが最後まで続く。1967年生れの、センスと頭の切れる監督の、スカッとする作品だ。
 座らんと廻るスカート夏木立 薫
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Aug 30, 2005

夏の内容

「Aug 30, 2005  過酷でうっとおしい今年の夏もそろそろ終わりに近づきました。とはいえ、九月に入ってからどんな猛烈なぶり返しがあるやも知れず、いのちも気候も、一寸先は闇と言えそうです。ご近所の八〇代の方と立ち話をして、夏が寒いと感じるようになったら、老人ですよと言われました。あついあついと言っているうちが華だとのこと。今年も夏が過ごせたと感謝しています、とおっしゃっていました。夏の内容をとやかく言うのはまだ達観が足りないせいかな?」

二年前の今日こう書き込みをしていたかたがこの夏の盛りに亡くなった。ときどきお見掛けはしていたがお話しする機会はないままで過ごしていた。近くの葬祭ホールに近所の奥さんたちとお通夜にうかがった。
すっきりと痩せて、上品な風情のおじいさんだった。朝がた倒れて救急車が来て、夕方亡くなったという。ベストを着て笑っている明るい写真だった。当家の奥さんが、とうとうわたしたちだけになりました、と挨拶された。2007.8.30
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Aug 26, 2005

余白句会で

8月20日(土)余白句会でした。きょうは台風一過少し楽ですが、20日は相変らず蒸して、気温が高く、つらい午後でした。岡田史乃さんのお嬢さんの辻村麻乃さんがお嬢さん2人を連れて見えました。もうひとりお客さんは柴田千晶さんでした。小さいお嬢さんたちは水筒とおやつといっしょに机にちょこんと二人並んでおとなしくしていました。会がはねてから清水昶さんが腰をかがめて覗きこむようにして話しかけていらっしゃいました。麻乃さんはお母さまの俳誌「篠(すず)」の副主宰で、ほっそりしてきりっとした方でした。この方が天、地、人の3位をすべてとられて、こんなことは余白始まって以来の大事件でした。わたしはめずらしく3位でした。 わたしが天をいれた句は
漂着のごとくに目覚む蝉時雨 沖仲士
自作ゼロ得点句は
シャワーノズルくねり熱湯吐き散らす みなと
でした。
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Aug 15, 2005

暑ゥーい!

予想はしていたものの、今夏の暑さは強烈です。自分をしっかりおさえていないと、ふらふらどこかへ気がふれていきそうなねっとりした高温です。連日32,33,34℃が続いています。
きょうはお盆。仏壇がないので、テレビの上に落雁の籠と今年の林檎を供えています。元の姑、わたしの長兄のけはいをわずかに感じています。お盆を過ぎると空気が乾燥してきて、金属的な暑さに変ります。それをこころまちにしています。
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Aug 04, 2005

若さにはやっぱりかなわないか?

小川三郎さんのブログを拝見して、「きっとまだ心が自分勝手でありすぎるのでしょう。」のフレーズにうなりました。自分だって、自己分析はできているつもりだったのに。吟行いらいの悶々は、このフレーズが書ければクリヤできたのに。と、悔しがることしきりです。
いま、自分と俳句との関係をきちんとする時期にきているのです。 いままでは俳句に対していいかげんな気持ちでした。野放図に現代詩の無定形に甘えていたのでしょう。その野放図さが自分に合っていたんです。さてどうしようか。このまま現代詩ですよーと突っ走るのもいいかも。じゃ、俳句やめる? いや、それはちょっとつらすぎる。自分に厳しく当る、そろそろそういう年令じゃないの?という声がします。
海おそろしわが野放図を見透かさる  薫
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Jul 31, 2005

城ヶ島吟行

今日で7月も終わりです。湿っぽくてくそ暑い日々です。 28、29日は城ヶ島吟行でした。油壺は小学校の遠足で行ったけど、城ヶ島へはいままで行きそびれていましたので、うれしかった。バームクーヘンみたいに岩が濃い茶色と薄い茶色にいくえにも層を成していて、波の浸蝕でさまざまな奇形、芸術的でさえある風景でした。ちょうど土用の日で、台風の余波も残り荒れた海、岩にぶつかる波が白く裂けて散っていました。久しぶりに海に来たので、海が怒っているように思えました。
10句即吟ということで、1時間ぐらい岩先にしゃがみこんで苦吟しましたが、結果はよくなかった。得点はまあまあだったのですけど、帰宅後、自分の俳句に対する態度に大きな問題があるのに気づかされ、悶々としました。結論、俳句に対する高飛車な態度を変える努力をすること。深いコンプレックスに気付きはじめています。
夏服を砕ける波にさらしたる
夏の潮いのちの種を運び来る  薫
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Jul 27, 2005

S先生

からお電話をいただいた。 富津のセミナーへのお誘いだった。 電話口で少し話があって、詩集のテーマはジャンヌ・ダルクでしょうとお見通しだった。以前に『ガニメデ』誌をお送りしたことがあった。だれでも知っているテーマだからおもしろくない。掘り下げが足りない。とのご意見だった。それは既に自己反省して、それゆえガニメデの少女戦士を破棄して「悪の伝説」に書き換えたのだったが、そのへんの事情を説明するには電話では無理だった。みんなが知っているジャンヌを通して自分を追及できないかと思っていますというようなことはどもりつつ返したのだったが、電話を切ってから、言いようのない歯がゆさにとらわれた。このまま、兄たちや先生たちとのようにもう話せない別れがあったとしたら。いや、それでいいのだ。話してどうなるというものでもない。このまま、分ってもらえないという苛立ちのまま。伯母や母などともそんな別れをしたのだから。
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Jul 15, 2005

詩誌「ル・ピュール」創刊!

詩の合評会pspクラブを母体として詩の雑誌「ル・ピュ-ル」を創刊した。柿沼徹、竹内敏喜、有働を核として、手塚敦史、白井明大、小川三郎、小網恵子、福士環のつごう8人が集まった。竹内さんの立ち上げたpspクラブに核の3人で集まっていた時期があって、以来、何といっても「詩がすきだ」というくくりで核を形成している。そしてそういう竹内さんに誘われて「詩が好き」な人たちが集まった。作品を見るとみんな生き生きしている。みんないい詩を書いている。「みんな違ってみんないい。」やっぱり天才の先人の言葉は予言的だ。この純な息吹きほどすばらしいものはない。若く個性的なみんな、わたしが混じって平均年齢を上げてしまってごめん。でも作品は負けないぞ。けんかしてもうらんでもすねてもいいから自分の満足するように生きていこう!読み手のみなさんにもこの涼しい風がとどきますように。
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Jul 10, 2005

ふたたび『フランドルへの道』

今朝の新聞によると、クロード・シモンが91才でパリで亡くなったそうだ。マダカスカル出身で、フランスの古い騎兵将校の家系で、この小説も馬で戦争をしていた最後の時代(1940年代)の話らしい。平岡先生が亡くなり、シモンが亡くなり。翻訳者のほうがずっと若くして先に亡くなった、という思いがする。ルイ兄の蔵書の中から引っぱりだした先生の献辞付きの「フランドル」が例のガラス戸の本棚のなかにあるが、拾い読みしてみても、あまり面白いものではない。よく忍耐強く訳しあげられたナーという気持ちで放り出した。だが、再び、忍耐を持って、こんどは自分としても細部の文体を愉しむというやり方で読み直そうと思う。
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Jun 30, 2005

二つの詩

古代に近い大型の家畜――食肉用の家畜
ここの山麓と肥えた草の中に生きている――
オーリヤックの屠殺場のために?
オーベルニュ地方は、判官館があり、厳しく、辺鄙な地方である。
《ここで生れたものはサレルス種とチーズ製造小屋に頼ることに決まっているのさ》
農夫のマーニュ・ド・マジユーは言う。
彼は老いの悲哀を耐え忍ぶ
薄れ去った季節の中で。
わたしがこの美しい仔牛の首の釣鐘を盗もうとしたら
角がシャツをかすり、引き裂くだろうか?
キリストが刻まれたこのブロンズの釣鐘は
幼年期の世界をもう一度生き直させてくれるだろうか?
だがあそこの群は、すべての角をまっすぐに立て
わたし達に対峙している。


次の中タイトルは「二つの詩」。このブルターニュ出身の詩人は世界を駆け回る。今は、フランス中央部マッシフ・サントラルの放牧地に居る。
古代に近い大型の家畜=この地域はラスコーの洞窟に近いので、雄牛、馬、鹿などが豊かに描かれたイメージを借りているようだ。
オーリヤック=Aurillac フランス中央(マッシフ・)山地(サントラル)西部カンタル県の県庁所在地。傘、家具などが製造されている。
オーベルニュ地方=Auvergne アリエー、ピュイ=ド=ドーム、カンタル、オート=ロワールの四県からなる中央山地南部の地帯。南北海岸地帯の奥部で、フランスでもっとも辺鄙な地域として、この地方の出身者は田舎丸出しの形容としてよく引き合いに使われるが、その素朴な人間性を賞賛して、歌手のジョルジュ・ブラッサンスが「オーベルニュ人の歌」を作り、国中で歌われている。
サレルス種=Salers 乳牛の品種。カンタル山麓で飼育される赤毛の大型品種。オーベルニュ地方で作られるチーズは《カンタル》le cantal と呼ばれる。
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Jun 14, 2005

中目黒のマンションで

家裁の調停が決着し、もう3ヶ月近く長兄のマンションのかたずけをやっている。老令の母に代わってきょうだいが入れ替わり立ち代りごみ出しに通った。昨日午後、神保町の田村書店が蔵書の引き取りに来てくれた。2時の約束が3時半になった。午前中の引き取り先の本の量がよそうよりはるかに多くて時間がずれたとのこと。洋書部長さんが若い社員を連れ、台車2台を持ってドア前に現われた。それからえんえん3時間強、わたし達がそれぞれ記念に欲しい本をもらった後のすべての本を引き受けると言ってくれた。これにはびっくりした。いずれ、めぼしいものだけを引き抜いて帰るのだろうと予想していたから。あと何軒の古書店と交渉しなければならないだろうかと心配していたので。大学の研究費で買い、研究室の印判が押してあるものは、解除の印を押したうえで扱うということで合意した。高価な本にこの印のあるものが多いのだ。50代はじめ?のこの部長さんは、パリ、ニューヨークの古書市を回ってきたばかりとのことで、その人柄と見識の高さにわたしたちは唸った。いままで長兄の死後、なさけないことばかりで、気持ちが沈み、少し悲観的に考えすぎていたようだ。未だワールドワイドの古書文化の変わらぬレベルというものが実際に存在して居る風景をこの人の話を窓にして、覗いた気がした。外国の古書商にはドクターが多いんですよとの話だった。値段は数日後に弟のところに知らせてくれるとのこと。私たちは何よりも共通の認識で取引きが成立した喜びをかみしめた。さすが日本一の古書街である神田神保町に店舗を張っているだけのことはある。3LDKの空間全てを埋め尽くしていたものが運び出され、思わず金メダルの水泳選手のことばのように「わー(さすがにチョーとは言わず)、気持ちいい!」と叫んだ。きょうだいが5人で手伝ったり、蒸し暑い午後にときどき飲み物を差し出したりするのを、めずらしいお客さんだと部長さんたちも喜んでくれた。中目黒駅のそばの居酒屋で祝杯を挙げ、疲れたが清々しい気持ちで夜おそく帰宅した。
遺されし蔵書の埃梅雨に入る  みなと
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Jun 08, 2005

わが家にはプールもあるよネットのね

と、自分のページを開いていつも惚れ惚れとする。豪邸ですねー!
こんどの句会の兼題の1つが「プール」なんですが。 豪邸はネットで充分です。いつもぴかぴかで新築同様です。現実に持っていたら維持管理に忙殺されて、詩だ俳句だとは言っていられなくなるでしょう。「物書きはくず拾いだ」と言ったのはベンヤミンです。ベンヤミンを教えてくれたのは久保覚氏です。あるとき、そのうちお金持ちになったらとわたしが言うと、「それはないよ」と返されました。亡くなった後もちょくちょくそれを思い出します。そのもの静かな、しかし間髪を入れない返しようを。存在の仕方の違いということを思います。
きのうきょう、一年中でいちばん気持のよい季節です。まだ入梅はしないで。夕方母の見舞いを終えて、バスを待っていました。窓を開けて指に挟んだシガレットの灰を落としながら走っていった車がありました。道路を灰皿代わりにしてる。と思ったけど、面白いと思った。初夏の夕方らしくて。ここで1句。と行かないのが、俳人ではない証拠。俳句は身に合いません。
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Jun 02, 2005

年令ばかり増えて精神は幼くて

ダメだなーと、先月分を読み返して思いました。元凶は人に口ごたえをしないでいままで生きてきてしまったこと。けっきょく、わたしのように5番目の子どもで、あんまり親からも必要ともされず、どうでもよく世の中に置いてもらってきたものは。学生時代に男の子たちが、自嘲的に「米くそ引替え機」だと言っていた。ひそかに、自分も当てはまるなーと思ったが、昨今まさしくかくのごとし。
さて、先月末、イサクの車に乗せてもらって東名高速を朝の5時から走って、お昼前に地球博に着き、その夜は春日井市の次兄の家に1泊させてもらいました。人ごみの中でいろいろ優美な日本語を耳にした。小さな子が、「おとうさん、蝶がおるよ」と云っている。「おる」なんて言葉をこんなチビでも使うんだ、と感激する。もっと日本中いろんな所に身をおきたいなーと思う。じぶんは四角四面の無味乾燥な言葉の世界に長居していたようだ。地球博自体は、普段の5割増しの人出の日にぶち当たって、並ばないで入れるところばかり選んで歩いたので、躍るサチュロスも冷凍マンモスも見なかった。それでも、おとなしく何時間も炎天下に並んでいる人々のわきを歩きながら、何らかの感慨は持ったわけで、それは要するに日本人はけなげだなーというのでした。
穏やかに祭り愉しむ人のおる  みなと
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May 27, 2005

お助けカルタ

今朝の哀しい夢のせいで、心のバランスを失してコベールに集中できず、家の中をぐるぐる歩き回っている。そのうち、一つ思いついた。「お助けカルタ」つくったらどうだろう? 例えば、 読み札:遠足でいっしょにお昼をたべるはずのともだちにおいてきぼりにされました。 取り札:受持ちの先生のところへ行きなさい。いっしょにお弁当食べてくれますよ。おまけに、ふだん言ってもらえない褒め言葉ももらえちゃうかも。すみれさん、声がきれいね、アナウンサーになったらとか。へへっ、得した。 読み札:特攻は哀しからずや。 取り札:フィリピン沖の敵艦を攻撃できず、青空を旋回してる。 読み札:夫が別れたいと言い出した。 取り札:喜んで別れなさい。わが人生千載一遇のチャンスなり。 読み札:年上の男は裏切る。 取り札:年下の男も裏切る。友も裏切る。息子も裏切る。娘も裏切る。伯母も裏切る。教師も裏切る。わたしも裏切る。 読み札:父親が暴力をふるう。 取り札:お父さんと呼ぶのを金輪際やめなさい。暴力野郎!と隣近所に聞えるように大きな声で叫びなさい。 読み札:猫ってかわいい。 取り札:同感、同感。いのちの限り慕ってくれる。 読み札:初潮が来たのに、母親は知らん顔。 取り札:母親のいるところで、大きな声で叔母さんに電話しなさい。おめでとうって言ってくれるよ!大きな声でかわいいメンスバンド買ってねって頼みなさい。 読み札:学校に行きたいけど、おなかが痛い。 取り札:生理痛で休みますと、受持ちの先生に伝えてくれるように、校長先生に電話しなさい。1年B組の青木ですとはっきり伝えなさい。 読み札:電車を待っていると、乗せてあげると車が停まった。 取り札:丁寧な言葉で断り、どんな顔の男か、よーく観察して憶えておきなさい。きっと将来役に立つよ。 読み札:母親がお父さんの顔に泥をぬるなって言った。 取り札:わたしの顔に泥ぬらないでと言い返しなさい。 読み札:友だちがあなたの教えてくれたこと間違ってたと言った。 取り札:間違ったこと教えられたくなかったら、もうわたしにものを聞かないでと言い返しなさい。 読み札:あんたは変人だとクラスメートが軽蔑した。 取る札:わたし、変人大好き。天才かもしれないよ、と涼しい顔で。 読み札:上級生の男子がフォークダンスの相手になろうと寄ってきた。 取り札:けがらわしそうに、人差し指と親指で相手の手のひらをつまんで踊りなさい。 読み札:ある先生がおまえは嫌いだと言った。 取り札:わたしも先生が嫌いだと言いなさい。以後完全に無視しなさい。 読み札:姉が母親にちくった。 取り札:自分だって不良になりたいくせに、ヒキョウモノ、とマジックで書いて、姉の机に貼っておきなさい。 読み札:あー、たくさんあるなー。 取り札:きりがないからひとやすみです。
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哀しくて

眼が覚めた。イサクを送り出してからまた寝ると、よく夢を見る。今朝のは、胸がつぶれそうで、ひいひい叫んでいる。置いてきぼりにされた夢。高校の修学旅行で平安神宮だったかで、友だちが他のグループと行ってしまって、ひとりぼっちだと気付いて、天地がひっくり返るような思いをした。あの傷が大人になってもチョコチョコ現われる。今の高校生もこんな目にあう子がいるんだろうな。その後、ひとりでも平気でいられる訓練をずっとしてきたつもり。 今朝の夢は、若い男性ふたりとコンサートの帰りになかなか来ない電車を待っていて、少しぼんやりしてひとりでいる間に、気が付くとまわりにだれもいない。電車はホームに入っている。急いで乗り込み、連れのふたりを探すけど、見つからない。半ばパニックで電車を降りて街に出て泣きべそをかいて探し回る。どうしてもみつからない。なんで、一言声をかけてくれなかったのかなー? ひごろ好意を持っていたふたりだけに、その哀しさ。あんがい、うどうさん、どこに行ってたの。探したよ。など、笑いながら現われるのではないか。それなら、この哀しさもこれまで。でも、夢はめでたしめでたしで覚めることはけっしてない。これって、まさにトラウマで、けさは、少なくとも午前中は心が病の状態。面白いのは、加害者(!)がふたりだということ。ふたりで示し合わせて、わたしをひとりのけものにするパターンで、わたしを排除した複数は仲良くやっている(らしい)。わたしだけパニックに落とされて哀しい。そしていちばんつらいのは、なぜこんなめにあうのか、自分で理由が見出せないこと。ああやったからこう。という理屈がなりたたない。自分にとっては理不尽な天災のようなものだということ。でも、ちょくちょくこの感情の追体験が重なるので、マゾヒスティックな快感になっているのではないかと思う。夢ごとに相手が変るのもそう。まことに主観性の強い性格で、だから詩を書くのだと思う。
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May 26, 2005

『フランドルへの道』

クロード・シモンの代表作、平岡先生の訳。この今では手に入れにくい白水社版を長兄の遺品の中に見つけたときはドキッとした。なかなか読みにくい難物を、先生は楽しんで訳されてあり、ほかにも、ナタリー・サロートやフランス再留学記(小沢書店刊)など幾冊も。どれにも、豪快なお人柄からは意外な感じがするほど端正な字体で献辞が書かれてある。たくさん仕事されているなーと感嘆する。22日の告別式に行かなかったので、いずれ、先生の創作講座を受けている友人に電話してみようと思っている。きょうだいに内緒で手許にもって帰ってきた。ペギーや枕草子仏訳版など、読む本がたくさんあって、ぼやいてずるけてばかりはいられないと、自戒する。週末は春日井市の次兄を訪ねる予定。
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May 19, 2005

平岡篤頼先生

が昨日虚血性心疾患で亡くなられたと今朝の新聞で知った。今年年初の年賀状の返信に、「今でも時々路易さんのことを考えています。」と書き添えてくださったのを、幾度となく思い出していたのだった。路易(ルイ)は私の長兄。平岡先生にまつわるエピソードはいくつかあるが、3年ほど前に先生のお若い頃出版された小説集を2冊ほど読んで、つくづくやさしい方だなーと思ったのだった。バルザックの『谷間の百合』の翻訳は名訳の誉れが高い。早稲田の仏文の先生方は青春時代に小説家志望だったひとが多くて、訳も、日本語の小説としてのレベルを優にクリヤしている。今はどうなのか知らないが。平岡先生は長いこと文芸誌「早稲田文学」の編集長でもあって、翻訳が創作に比肩し得るのはそういった事情にもよる。早稲田の仏文を私的に展望すれば、新庄嘉章(かしょう)、平岡篤頼(とくよし)の系譜が最も香り高く、私は好きだ。せせこましさがないのだ。お二人とも関西のご出身。86、96までお元気でいらして欲しかった。
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May 13, 2005

ちょっと幸せ、おおいに幸せ

何でかというと。
3年前の春に亡くなった長兄のマンションで、遺品を整理していて、崩れそうなNRFの仮綴本を見つけた。それがCharles Péguy:Morceaux choisisだった。ピエール・ローランの描いた肖像も付いていて、めくったらばらばらにほどけてしまったけど、今、いちばん欲しかった本なので、うれしかった。「ジャンヌ・ダークの神秘」、「ソネット」、「ロワールの城」、「聖女ジュヌヴィエーブとジャンヌ・ダークのタピスリ」、「ノートルダームのタピスリ」、「エヴァ」これらの詩篇がみんな入ってるんですから。「ムーズ川への別れ」の出だしをちょっと拾い読みすると、やさしい!ぱっとわかる。それで、すっかり幸せな気分でした。あとは、ピザンおばさまが読めれば、わが人生言うこともなき!
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May 11, 2005

「強い」ということ

さいきん、「あなたは強い」と複数の人から言われた。それが、苦手な嫌なやつから言われたのなら気にならないのだが。信頼もし、尊敬もしている人の言葉なだけに、気にかかる。「わたしは強いのかな」と、いくどもつぶやいてみる。ちっとも実感がない。失敗ばかりしていて、ピンチになるのもしばしばのこと。喉ががらがらになって、風邪と称して、玉川クリニックへ駆け込む。もっと大きな病院でなきゃ、とイサク(次男)がいうけれど、「あなた風邪ではない」とばらされるのがこわい。玉川クリニックの老先生なら、くびをかしげるだけで何も言わず、風邪薬を処方してくださる。それを飲んでぶらぶらしているうちに、気力的に回復していく。と、わたしの健康生活は目下そんなくりかえし。「わたし、強いのかな」。さらに「強い」の後に、「賢い」とか「立派」がつくと、おそろしくて、いっそう穴の中にもぐりこむ。もうほっといて!都心に出ると往復1000円近くかかっちゃうから、なるべく出ないようにしていますが。
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May 09, 2005

ゴールデンウイークが終って

5月2日に体調を崩して、駅前の玉川クリニックに行って、その後はぐずぐずして過ごした。薬が終りかけて、調子もどうやら、でも完全に復調とは言えない。近ごろは大体こんな調子で、さっぱり、すっかり元気になるという事は先ずないのだ。まあ、これでどうにかやっていけそう。診察してくれたのは老先生で、わが息子2人を取り上げてくださった。知ってか知らずか、こちらとしては先生の変わりのない応対にほっとする。わたしが病院に行くのはたいてい、精神的な原因があるのだ。それは言葉にせずに体の症状だけ申し述べる。風邪薬を飲んでゴロゴロしているうちにどうやら生きる気力を取り戻す。 またコベールに戻った。これで3度目の正直。放り出してはとっかかり、また放り出しては気を取り直して、のくり返し。諦めと安心。まあいいか。
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May 02, 2005

ゴールデンウイークのなかびです

一昨日鶴間の横田園という植木園に行き、プランターに植える花をさがしました。けっきょく、キンレンカと、ナデシコとランタナを安かったので(1株平均120円)9株ばかり選び、それから植木の間をまるで公園だねといいながら歩き回っていると、赤紫の細かい花房のたくさんついた小潅木にひきつけられました。扇形に刈り込んであって、いいにおいもします。職人さんに声をかけて来てもらい、いろいろ話してもらううちに、もう買って帰ろうと決めていました。高かった(3700円)けど、こういうときのアレーアレー気分はおさまらないものです。植え方や、年間管理のしかたなど詳しく教えてもらい、車の助手席まで入れてもらいました。姫ライラックのニオイにうっとりしながら帰りました。昨日早起きして、食卓から見えるところにしようとあれこれ迷いながら植え込みました。夜から雨になって好都合でした。 地面の泥7、腐葉土3を混ぜて、穴にいれ比較的浅く植える。株の根本に土がかからない程度。肥やしはやらない。肥料をやると木ばかり大きくなって花がつかない。花房が枯れてきたら、枝先を切る。すぐしないと、もう来年のつぼみがつくので、遅れて枝先を切ると、花芽をみんな切り落としてしまうことになるので、要注意。水は植えたときにホースの先を穴に差込むようにしてたっぷりやり、後は自然の雨だけでだいじょうぶ。株の下のほうの枝はいじらずこのままにしておく。あまり大きくしたくなければ、花が終った直後の枝先選定をしっかり行う。五月中咲いて、六月に入ると終る。害虫はほとんどつかない。たまに緑色の小さな虫がつくことがあるが、スミチオン他の乳剤をうすめてスプレーすればよい。日当たり全日~半日陰。風通し良好のこと。 新来やチャンチン侘び助身をずらす  みなと
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Apr 19, 2005

イカリ草がたくさん咲いていました

きょう、駅の花屋でイカリ草を売っていました。そこで、16日の土曜日に井の頭文化園でたくさん咲いていたのを思い出しました。白からあずき色まで、株ごとにすこしずつ花色が違っていました。もう30何年前ですが、ここに越して来たときに、まだ残っていた雑木林に入ると、この花が見つかることがありました。いまは、雑木林はほとんどなくなりましたので、イカリソウが見つかるなんてことはまったくありません。道端にはせいぜいたんぽぽか、ヴェロニカぐらいです。菫もごくたまにしか見つかりません。住宅街ですから、各家のお庭は花盛りで、のぞきながら歩くのが楽しい季節になりました。16日は余白句会があったのですが、わたくしの得点は後から数えたほうがずっと早いランキングでした。あせりを感じています。
春なれや煙突たたき煤おとす  みなと
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Apr 15, 2005

机に向かうと膝に乗ってくる

ので、せっかく集中しようとしてる気持ちがそれてしまう。 可愛いけど迷惑なコ=うらちゃん。
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3日ほどすごーく寒くて

気がめいって暮らした。気分もお天気しだい。
昨日からまた春に戻ったが、気分の回復は遅れている。 それだけわがままでいられるご身分なわけだ。
今日はちゃんと暮らすぞ。
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Apr 05, 2005

いつまでも3月のままでは

体裁が悪いと思って、アドレスの箱を今日の日付に替えてみましたが、書きたいこともなし。灰皿町をぐるっとまわって、大家さんおふたりのところに顔を出し、あとすこしぶらついて…〈br〉 やっぱり写真を見てしまいます。わたし写真はやらないので、拙宅殺風景で申しわけなし。しみりん大家さん宅でミモザの見事なのを見ました。この辺でも、駅に行くまで4,5件の家にミモザがあり、もう花時は過ぎましたが楽しませてもらいました。毎春伊豆に行っていた頃、ミモザの大木をよく見かけたけど、あれって、マメ科なので、わりと寿命が短いんですよね。大木になるのはかなり選ばれた木だと思う。黄色い粟がむくむくしてるみたいで、ああ、春がきたなー、うれしいなーと思う。〈br〉 洋館の角煙突やミモザ咲く  みなと
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Mar 29, 2005

今日は誕生日です

何回目かはまあいいでしょう。還暦を越せば、60マイナス1才ずつ減らしていけるはずだから。とにかく、復路であります。とても忙しくて10日ほどの間パソコンを開かずに毎朝飛び出していました。19日に横須賀句会があって、そのことを書きたいなと思っているうちに仕事に突入してしまって、それから27日にpspで思いっきりおしゃべりしたり、家の石垣工事の代金の相談や母の介護をしながらたいして安心もできない自分の介護保険料を6万超も払わされるのに不満を感じながら1年間の保険税を支払いに市役所に行ったりしつつ、今や自分の老いの象徴日ともなってしまった誕生日にたどり着き、いいことないなー。その中でちょっとした光明も見え、それを作品の糧にしたいと思っている。八月刊行予定の「ジャンヌの涙」に水仁舎さんが苦労していると告げてくれる人があって、人の地獄耳に感心する。わたしだけが沙漠にいるんじゃないと日ごろの不満心を自分でたしなめたりして暮らすこのごろです。
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Mar 17, 2005

ただの零細な消費者

1960年代、いわゆる「太田ラッパ」の頃、わたしは全国金属の組合員だった。振り返って、私が組織労働者だった時期はきわめて短く、たんに「搾取される個人」である期間のほうがわたしの人生のほとんどをしめる。「搾取」などといえば、今は顔をしかめられるほど、全てが小経営者ばやりで、孤立すればするほど、友人、隣人からもその気配をさとらされるほど、事態は見分けがたくなっている。太田ラッパの頃は天真爛漫に教科書どおりだった。顕在的には何の意味も見出せない。しかしである。あの20代の数年間の聴覚に養われたものの残滓、それは、根こぎにされた大木の周辺にやがてひこばえが見つかるようなものかもしれない。…
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Mar 16, 2005

Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers,

Picoté parles blés, fouler l'herbe menue: Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds. Je laisserai le vent baigner ma tête nue. Je ne parlerai pas, je ne penserai rien: Mais l'amour infini me montera dans l'âme, Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien, Par la Nature,--heureux comme avec une femme. フランス語をやって本当に良かったと思うのは、この詩を読むとき。 けっきょく、この詩を自分は超えられないし、超えたくもない。 それに、あんな生涯を送りたくもないし。 人間て匂いのある花とおなじだなと思う。どれひとつ、同じ花はなく、その花が咲いている時間はあまりにも短い。でも、顔をちかづけて、香りをかいだ記憶はその人に忘れられない。 喉の下の三角 父と伯母の間にはある種の暗さがあった その同じ分量だけいたわりとやさしさのけはいもあった 伯母は和服で教員生活を長いこと続けていたから 伯母の喉下の肌は和服の襟の打ち合わせから はみ出した分量だけ くっきりと三角形の日焼けがあった その三角形を見て育った幼いわたしは いっしょに風呂に入ったときや 着替えのときなどに 母をこれほど苦しめる姉弟関係ってなんだろう と好奇心がつのった おばちゃまはなぜ お嫁に行かなかったの と聞いたときがあって そのとき 伯母の身の上話がはじまった …… ここまできて、ペンが止まった。 重さに耐えられなくて。 まだむり、まだむり。 いっしょうむりだろう。 ランボーの詩を超えたくないのと同じことかもしれない。
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Mar 13, 2005

飛ぶ劇場RRRを観る

春めいてうきうきして軽装で出かけた。池袋南口に出たらぱらぱらと大粒が来た。 なんともキテレツな演劇。作者泊氏の挨拶どおり、ごった煮、ごみ溜め、ドロドロ、例えて言えば「北海道が博多で札幌ラーメン屋」を見つけてバターコーン塩ラーメンを食ったみたいな、破滅に向かう日本島嶼多島海文化の終焉を「明るく憂う」ラジオのリクエスト番組があぶりだす島国青年肉欲地図の浄化を祈念する趣旨の、満席(に近い)上演でたいへん面白かった。帰りに中野の救世軍ブース記念病院に母を見舞いによって、バスで永福町に出て、寒風に吹きまくられて縮みあがり、激辛ラーメンに涙して、挙句、熊本産晩白柚1個350円、プラス清見オレンジ1袋をさげて疲れて帰ったのが夜9時。良い一日でした。もし自分より30年以上未来の日本がこのような明るさで日を暮らしていくのだとしたら、安らかに死ねるな、なーンも言うことなしと、こころも軽く、浄化されたのでした。
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Mar 12, 2005

冬にまた戻って

雨。朝は暖かいが、昼間は冷える。石垣工事が2週間かかってやっと完成。雨の日が入ったので実際の工事は10日だった。中島建設㈱はこの家を37年前に建てた会社。もう人がすっかり変わっていたが、工事にはとても満足している。茶髪のお兄ちゃんたちが来て丁寧にやってくれた。大きな木を植えちゃだめですよ、と監督さんに注意された。そのことに今まで気が付かなかったのが、不覚。でも、木の根が原因でなくても、セメントはそろそろ老化して落ちる頃だから、リユーアルしてよかった。これからは木はあきらめて草花いじりして遊ぼう。 これから池袋へ。
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Mar 09, 2005

今朝はすんなり

行きました。もう頭に入っていますが、1週間ぐらい開かないときも有るので、そのあきまに記憶が耐えるかどうか、ちょっと心配です。手順を手帳に書き付けて置きましたので、対策は講じてあります。いま、読んでいるのは大江健三郎『取り替え子』です。あの、衝撃的で、奇妙なで痛ましい事件。伊丹さんには一度だけお目にかかったことがあります。そのころ、新作ができると試写の案内が送られてきていたので。代役で見に行き、終ってロビーに立っていらっしゃる伊丹さんに一言ご挨拶をしました。なんだか、こころここにあらずという風な印象を受けました。黒づくめの服で背の高い方との記憶があります。大江健三郎の作品にはあまり深入りはしないつもりです。おそまきながら読んでおこうぐらいで。
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Mar 08, 2005

ねんのため、もういちど

やってみました。白地でました。あす、朝、できますように!!
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わかった

思い出しました。日付けを替えたらすぐEnterキーを押す。それで空白が得られました。大切な空白。思い出すのに幾多の障害をのりこえ、乗り越えして。学習ができないのではなくて、ガラクタな学習をいちにちのうちにたくさんしすぎるのではないかと思えてきた。願わくば、すっきり、大事な学習だけさせていただけますように!
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Mar 07, 2005

また迷いました。

一晩寝ると、元に戻っちゃうみたい。1日の学習が積み重なっていかない。なさけなし。白地が出ないんです。またばたばたやってみます。
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Mar 02, 2005

今日は雪のはずでしたが

曇っています。3日の雪はもうすっかり消えました。気温は日中4℃で、冷え込んでいます。明日からは春の暖かさになるという予報です。 中地義和『ランボー・自画像の詩学』岩波セミナーブックスS5、2005年2月刊を読み始めた。久しぶりの真正面からのランボー。もうこんなに近くなってしまったランボーを喜んでいいのか。もちろんだ。ランボーの言葉へのこの肉薄。これだけかけ離れた言語世界でのこの探求。かつて、青春時代にランボーの訳詩を読んで、この詩人はわかる。と直感した。その後テクストにあたってそれは確信として固まった。ランボーを注意深く読もうとする人は、たいていこの直感に導かれている。そしてその直感は苦労の果てに裏切られず、それどころか、圧倒的な世界の展望に導かれるのだ。この詩人の厚みと香り高さに、自分の生の至福を思うのだ。優れた研究者達がもう私より若い人たちばっかりになってしまったが、それはそれ、わたしはそのジューシーな果実を心ゆくまで味わうことができる時間にめぐまれる。
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Feb 27, 2005

白いクロッカスが咲きました

白いクロッカスの写真がメールで送られてきました。
ジャンヌ・ダルクですよとコメントがありました。
そうです。1429年2月25日の夜、ジャンヌがシノン城に現われたとき、ちょうど凍りついた地面に白いつぼみがとつぜん萌え出たような印象だったにちがいありません。
今日は2005年3月2日です。月が進んでもまだ冷え込みは去りませんが、写真ではつぼみだったクロッカスはもう開いたことでしょうね。

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