Dec 12, 2008

詩人の声286回は1月10日に新宿ギャラリー絵夢で

天童 大人 プロデュース プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲) №286 ~「目の言葉」から「耳のコトバ」へ~
   有働 薫  新作を読む
おかげをもちまして、昨年一年をかけ、これまで5冊の詩集として刊行いたしました95篇の作品とまっすぐ向きあうことができました。今年2009年からは心も新たに、新詩集『幻影の足』(仮題)に収録予定の16篇を声にしたいと思います。詩の創りだす世界を共にお楽しみくださいますよう、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新詩集に収録予定の作品:「さよなら そして チャオ」、「それから西へ」、「ユリの木の下で」、「鎮魂」、「少女趣味」、「昼の時間」、「セレナード」、「深く敗れた」、「エリデュック」、「茗荷の港」、「ランボーの右足、エイハブの左足」、「磔刑ののち」、「噂の足」、「悪い手紙」、「ピザンおばさま!」、「村」。
2009年1月10日(土)18時30分開演
於 ギャラリー絵夢(新宿)
Tel/fax 03-3352-0413
〒160-0022 新宿区新宿3-33-10 モリエールビル3F JR新宿駅中央東口から歩いて3分
入場料:予約 大人2500円
    当日 大人2800円 大学生1500円(学生証提示)
    高校生500円(学生証提示)小・中学生無料(保護者同伴)
予約は上記のギャラリーに直接電話か、メール gallery@moliere.co.jpで
あるいはプロデュースの北十字舎に Tel 03-5982-1834/fax 03-5982-1797 でお申し込みください。
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Nov 30, 2008

哀しみの幸せ

秋の日展で、H.M さんの「失楽園」と題する 日本画の前で、そう言葉が浮かんだ。日展は、学生の頃 めずらしく両親と上野で伊東深水の絵を見たとき、その上品な大画面に心が晴れ晴れとした記憶がある。あれ以来、日展に来たことはなかった。両親はたしか小林古径を見に行ったのだった。H.Mさんの絵には、華やかさと毒とがあって、荒れ地野菊と狐をとりあわせた隣の絵に負けたと思ったと打ち明けられて、この真剣さが高校生の頃の負けず嫌いを思い出して、若くて本物だと感じた。なによりも、この人の本性が作品化されているところが凄い。わたしは、デーモンにおいて負けていると感じた。いい絵だった。来年、再来年と挑戦していってほしい。同級生だから、すごく励みになる。 
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Nov 06, 2008

「咲くということは贈り物」

塚越祐佳『雲がスクランブルエッグに見えた日』、水島英巳『樂府』を読み、それぞれにある種の思いを持った。『樂府』はfolk songと併記され、内表紙には「がふ」とルビがつけてある。中国語で諷刺を交えた歌謡を言うという。集中22篇のうち、最初から8番目の詩「山帽子」がダントツにすばらしい。始めから読んで来て、ここで、ふわっと意識が海上に飛翔した感覚を持った。哀しいほ澄み切った珊瑚礁の海に。「無断で生まれ、散策するように生きてきた…そういうものとは無縁に山帽子が門前に咲いている」。先日私は自分の詩の朗読会で1987年から2005年の18年間に5冊の詩集を刊行して95篇を発表した。今夜はそのうち良いと思うもの17篇を読みます。と言った。会の後の飲み会で、自分の詩を残したいと思うのか。と質問され、「17篇も残そうと思うなんて虫がいい」とからかわれた。さらに、今夜ウドーさんが読んだ中で、いま覚えているのは3つ位かな。あとはどんな詩だったかも覚えていないよ。と、これは、あさやけ3羽がらす中の1羽の有難いご意見だった。いま、このやり取りを思い出している。水島さんの22篇の中に1篇、ここに全部書き写したいほどの詩に出会うことが、自分が詩を書き、ひとの詩を読み続ける理由なのだ。あさやけのお兄様がたは、そうカンタンに他人を認める人たちではないから、あの厳しい物言いは、言いかえれば、今夜はご苦労、というオマージュなのだと信じている。『雲が…』は、若い人の詩にありがちな言葉自体の自己主張をあまり感じないという感触を持った。詩語に疎いのとはまた違う。言葉をコントロールする知性が作用するゆえの、ぎこちなさ。これは貴重だと思えた。
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Oct 24, 2008

あさやけ3羽がらす

21日夜のヴォワ・デ・ポエット263には、あさやけ会の3人の方もお見えくださった。久保覚さんの没後十年の会の折に、久保さんを書いた詩「東京キッド」を聞いてほしいとお願いしてあったのだ。約束どおり、ちゃんと見えてくださった。客席が明るくて、彼らのお顔がよーく見えたので、読み手の私のほうが上がってしまい、壁に貼り付けた原稿をまず読んでから、挨拶に入るという手順を抜かしてしまった。始まってやや経ってから気がついたのだが、すでに遅し。折角の構成が…。さらに、声を届かせようと本を顔の前に高く差し上げて読んだのを、終了後、プロデューサーの天童さんから指摘された。あさやけ会は安保闘争の時期に久保さんを中心に活動したインターハイスクールの会。わたしは参加していなかったが、彼らの活動については関心があった。知的にきわめて敏感で、読書会や討論会を組織し、高校の垣根を超えて活動していた。21日に詩を聞きに来てくださったのは都立上野高校生(だった人)が2人、都立戸山高校生が1人。もちろん現在は70代で、私より2,3年上の人たちだ。その夜は他に、竹早高校の同級生の親友も見えたので、図らずも、会の後の飲み会では、〈インターハイ〉の観を呈した。楽しかったです。時間が縮みました。友よありがとう!
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Oct 10, 2008

緒形拳さんと詩

7日の朝テレビをつけて驚いた。緒形さんが亡くなったというのだ。 1週間ぐらい前に、竹早高校の親友で、同じ演劇部だったクロちゃんと、電話で彼の話をしたばっかりだった。昼近くなって、クロちゃんに電話したら、ご主人が、朝電話をしたようでしたが、今は医者に出かけています、とのこと。行き違いだった。けっきょく電話で話せたのが夕方の6時近くだった。
高校のわたしたちの学年に緒形さんが居たということは、奇跡のようなことだったと、クロちゃんは言う。演劇部ではいろんなことがあった。クロちゃんはクラスも一緒だったので、いっそう縁が深い。リチャード3世を見に行ったときは、銀座で花束を買って楽屋に届けたこともあった。時間が早すぎてまだ見えていませんとのことで、けっきょく会わずじまいで、花束だけ預けた。
わたしたちは陰の応援団で、いつかファンクラブ作ろうねとも話していた。
ある年のクリスマス近く、封筒が届いて、緒形さんが書を送ってくれた。素敵なクリスマスプレゼントだった。クロちゃんが『冬の集積』を緒形さんに渡してくれて、そのなかから、3篇を薄い和紙に、特徴のある四角っぽい字体で、墨で書いてくれてあった。添えてあったお手紙に、ぼくはこれからだと思っています、100歳までやりたい、とあったので、それで、わたしは7日の朝のテレビの項目の最後に出た文字が信じられなかったのだ。
1枚だけの手紙だが、高校のときどんな自分だったか、わたしがどんなふうに見えたか、チベットに行って、これを書いたとか、チベットがとてもよかったとか、いろんなことが書いてある。詩を書いてもらったことも感激だったが、このお手紙が素晴らしい。
テレビで俳優の方が、寡黙な人だと述懐していたが、たしかに、緒形さんは、人前でしゃべるより自分で文章を書いたほうが自由だったかもしれない。
息子さんたちが、素晴らしいオヤジだった、人間としても尊敬している、と話されていた。高校の同級生だった私たちも、素晴らしい方でしたよ、と息子さんたちに伝えたいと思う。
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Sep 28, 2008

詩人の声シリーズNo.263有働薫の夜は5冊の詩集から15篇を肉声で

天童大人プロデュースNo.263
La Voix des poètes 詩人の声
―目の言葉から耳のコトバへ―
    有働 薫
    Kaoru Udo
詩集『冬の集積』から詩集『ジャンヌの涙』まで
5回にわたって声にのせた詩集から、「岸壁の国」、「花の好意」、「メリザンドの娘」、「雪柳さん」、「天沼橋」、「スタラクタイツ・スタラグマイツ」、「ジャンヌの涙」等…15篇をあらためてお届けします。秋の夜のひととき、どうぞ詩人の肉声にお耳をお傾けください。
2008年10月21日(火)
  ギャルリー東京ユマニテ(GTH)
      開場18時30分  開演19時
     ℡03-3562-1305 fax03-3562-1306
入場料:予約 大人2500円 学生(学生証提示)1500円
    当日 大人2800円 学生(学生証提示)1800円
ご予約は上記のギャラリーに直接お電話いただくか、メール humanite@js8.so-net.ne.jpで、あるいはプロデュースの北十字舎に お電話03-5982-1834又はfax03-5982-1797 でお申し込みください。
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Sep 21, 2008

『空にまんまるの月』木村まき詩集 西田書店2008年7月刊

 小沢信男さんの跋文の付いた詩集で、このタイトルになんだか懐かしさを感じたのは、自分の詩集『ウラン体操』(1994年ふらんす堂刊)の「獣」という作品の最終行「空に缶みかんの月」というフレーズを思い出したからだ。木村さんの最初の詩集のタイトルとこのフレーズを比べてみると、木村まきさんの詩とわたしの詩の違いがはっきり分ると思った。見るものは同じ、詩へ動いていくきっかけも同じ。だから、詩の心は同じ。だが処理のしかたが違う。
この詩集全体を読んで、とてもうらやましいと思った。「巧拙をこえてわきだす泉のようなもの。」と小沢さんの跋にある。泉、澄んだ濁りのない水。ほっとする、さわやかな感触。小沢さんはそれを「詩の恩寵」と表現されている。そうだ、詩とは、人の心の澄んだ泉、まぎれのない心。人をほっとさせるもの、リフレッシュするもの。わたしの月は半月、それも缶詰めから出てきた蜜柑の一切れのくずれやすい、危うい月。このひねりよう。これがわたしの個性だと思った。良し悪しは言わずに。木村さんの月は満月。大きく、冴え冴えと澄み切っている。言葉は恐い。小沢さんのような人の心を見る達人にかかると、一瞬で見通されてしまう。わたしは泣きながら、この詩集を有働に送りなさいと、木村さんに勧めてくださった小沢さんの配慮に感じ入るのだ。
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Sep 18, 2008

シロウヤスさんによる『雪柳さん』の解題が終わりました

なにぬねの?のブログで、鈴木志郎康さんが10回にわたって詩集『雪柳さん』の解題をして下さいました。昨夜最後の詩が終わって、一段落です。解題が始まってまもなく、シロウヤスさんは今年の萩原朔太郎賞が決まりました。忙しくなられるのは目に見えていましたので、伸ばしてくださいと申し出たのですが、少しずつ読んでいきますからよろしく、とのご返事で、約3週間をかけて、お仕事とリハビリの間を縫って読みきって下さいました。私も追いかけるのが必死だったのですが、こんなに充実した日々を過ごさせていただいて、感謝しています。以下に第3回目の解題のコピーをペーストしてみます:
シロウヤスさんの日記
2008年08月30日
22:58 有働薫詩集『雪柳さん』の解題 その3
 「e.少女懸垂」の解題の追加
 この詩の解題を書くとき、「一つの言葉のシーン」という言い方をしたが、ちょっと言葉を補っておいた方がいいように思った。詩を書くということは、言葉を使うということで、書いている間、いろいろと言葉とつき合うことになるが、その言葉との付き合いが生活の中で場面を作るというわけだ。人によっては、机に向かって、またはパソコンに向かって、一気に書いてしまう人もいるし、散歩しながら頭の中で言葉を並べて、家に帰って、または喫茶店で書く人もいるだろうし、勤めの行き帰りに電車の中で作って、家でパソコンに打ち込む人もいうと思う。詩を書くそれぞれの人がそれぞれの「言葉のシーン」を持たなければ詩を書くことは出来ない。
   「e.少女懸垂」の場合、15行6連の言葉の配列が、全体で詩人の頭に浮かんだ言葉がそのまま構成されていると受け止めた。それぞれの連では意味がまとまっているが、連と連との間の意味の関係が希薄なので、その空間を言葉が浮かんでくる時の間合いと考えられる。第1連から第6連まで行くのに現実にどれくらい時間が掛かったか分からないが、「日曜の午後」、片づけものをしながらゆっくりと進んで、少女時代に抱いていた思いに行き着いたのではないだろうか。そして、少女の頃の自分を思って、詩人は自分の気持ちを立ち直らせることが出来たのではないかと想像する。そうだとすると、この「e.少女懸垂」という詩は詩人の心の動きをそのまま伝えていることになる。詩を書くことが心をリフレッシュさせた実践の記録と受け止めることが出来る。
   f.灯り
 13行1連の行分けの詩。
 この詩は、その時その時で違った百合の花を活けたガラスの花瓶を、いつもリビングの出窓に置いて、絶やしたことのない家が近所にあって、そこを通るとき楽しんでいた。その家の中ではいつもショパンの練習曲を挽いているのが聞こえる。ちなみに詩人はプレリュードが好き。ある日の夕方の買い物に行ったとき、トラジックなコンチェルトが聞こえたが、CDをかけていたのか、と思ったという内容。
 百合の花とショパンの練習曲から、その家の住んでいる人のイメージが生まれてくる。好みが合って親しみも感じてくる。そこで、いつもとは違うCDの「トラジックなコンチェルト」が聞こえてきたのだから、その人に何か変化が起こったのかと思う。タイトルの「灯り」は、その音楽の変化が、「灯り」を灯したように、その家に住む人の心の在りかが照らし出されたということと受け止められる。というふうに考えると、この詩の場合、活けられた百合や演奏されたショパンの曲が、心の在処を示すものとしての働きを持つことを詩人は見つけたのだといえよう。
コメント
2008年09月09日 22:25
sumire
「少女懸垂」について、「少女の頃の自分を思って、詩人は自分の気持ちを立ち直らせることが出来たのではないか」の分析に感動しました。なぜこの詩を書いたか、自分でもはっきりした自覚は無いのですが、集中の作品の中で、自分にとって「大切な」作品だという気持ちがずっとありました。それは、60代にもなる自分の挫折感と、40年以上前の自分の精神的な営みとの幅を計ろうとした試みだという、測ることによって何か現在の自分への解決策が求められはしないか、というかなりシリアスな思いがあって書いたらしい、と、「立ち直らせることが出来たのではないか」との読みをいただいて、ぱっと開ける思いがしました。ギリシャ悲劇のカタルシスに似た作用があった、といえば少し大げさかもしれませんが。シロウヤスさま、sumire拝
2008年09月10日 00:38
シロウヤス
sumireさん
作者が「ぱっと開ける思いがした」というのは、解題をする者にとっては冥利に尽きるということです。
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Sep 09, 2008

つよい集中力を要求する詩―中本道代『花と死王』2008年7月31日思潮社刊

『花と死王』というタイトルは必ずしも明快ではない。花はともかく、死王とはどんなイメージに誘うものなのか? 花と読み、その下で戸惑う。もしや満開の桜なのか?いや西洋の、例えばアネモネのような大輪花、あるいはフランス王室紋章の雪白の百合?それら高貴な花々の陰?いや、詩集後半の死王の描写に精嚢をもつとあるから、男性神に違いない。迷ううちに、渦巻きの中心に行き着くように、ぱっとイメージが結実する。ああ、これは生と死の結晶系なのだと。アンドロギュノスのように、宇宙を1つに凝結する系としての、自家受粉器官のある、生命体なのだと。たとえば、歌舞伎の女形、男性の肉体に支えられた華麗な女性形。男と女の片身ずつの結婚形より、美の領域はもっと強い凝結を求める。その凝縮の緊張によって恐ろしいほどに馥郁する開花。その花びらの陰影。死王は影であり、男であり、種であり、破滅の源であり、開花の基であり…ここまで来ると、中本道代の詩の宇宙がタイトルからも開かれ始める。
作品はそれぞれタイトルのつく4部に分けられていて、各部は5篇から11篇の行分け詩と散文詩から成る。
最初の部「辺縁で」(ヘンエンと読めばいいのだろうか)に含まれる5篇のうち、好みを言えば「水の包み」がいい。タイトル詩「辺縁で」もいいが、これはかなり難しい。この難しさが、中本詩の個性なのだが、それに迫るには、待てよ、もう少し読まなければ、と、どきどきして来る。作者と読み手の自分との距離をまだ測りかねるのだ。4つめの「水の包み」まで来ると、詩化された華やかさと、愛らしさ、そして消失の憂いに包まれ、優しいカタルシスがやってくる。進行にも余裕があり、とりわけ女の子らしくて、うれしい。しかしこのグループの作品の最後に、もう「死王」への呼びかけがはじまる。「水の包み」つまり生命が凝縮して雪に変わり、まだ本当の死ではないが、死への約束(予感)がはじまるのだ。
次のパート「高地の想像」は11篇で、詩集の中心を形成している。わたしは散文形で書かれた「犬」が好きだ。「わたしは犬といっしょにインドに行きたい。そしてフランスに。」こんななんでもないフレーズにたまらなく引き寄せられる。まだ知らなかった楽しい1日にめぐり合うように。どの作品も不思議な抽象によって構築されており、愛らしく楽しいのだが、その風景には「思想が、…崩れる予兆をなして、置かれている。」シュペルヴィエルのモノクロの肖像写真が目に浮かぶ。都会に住みつつ、常に大自然の風と交歓している詩人。鳥が鳴くのも、猫が眠りこけるのも、本当の生は一瞬である。だがわたしたちには記憶がある。詩がある。と抗ってみる。
「カタラ」と名付けられた7篇。ここはプライベートパートといってよい。あるいは記憶の。焼き場へ行く道に祖母と「カタラ」の葉を摘みに行くという。カタラとは、例えば北九州のわたしの母の故郷ではサルトリイバラの葉を、ふかし団子を包むために摘みに行く。ハート形の少しだけ臭いのある、とげのあるつる植物の葉なのだが、そんなことを想像した。このパートでは詩化の力、詩人の長い時間におよぶ精進の成果といったものを強く感じた。
「新世界へ」と題する最後のパートは5篇。現在世界の肌触り、ざらざらした、無機質な、潤いのない、何層にも重なって果ての見えない生。はかなさとは反対の、仏教でいう輪廻の世界にわたしたちは入ってしまうのではないか?「結局はまたそこに還っていく。」その中に死王は姿をあらわし、「弱々しい精子が零れ落ち」る。弱々しい生殖によってくり返される生の反復、終わることのできない生。香り高い開花は良き死を迎える喜び、という逆転への直感がここで完結する。
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Aug 30, 2008

鈴木志郎康さんの解題

ルネ・シャールの詩に、詩人と詩の関係には3つの段階があるという内容の詩があるのだが、ここ数日、その詩が頭から消えない。 詳しく説明する余裕がないが、その、最終段階に自分がいるのではないかと、しきりに思う。
「なにぬねの?」という、岡田幸文さんのサイトに参加させてもらって、鈴木さんとの通信線ができたのは2月。この8月末からシロウヤスさんの、私の詩作品への解題が始まった。
このサイトでは、多くの詩人たちのコーナーが見れる。ここ灰皿町の大家さんのお顔も見える。
荒療治の歯医者さんにかかるようなものだと訴えるわたしに、冷静沈着なシロウヤスさんは、「書いている人の立場に近付く」読みをするので、心配はいりませんよと、腕のいい優しい歯科医の先生と同じ。ほっとして、リラックスしてお任せするのがいちばんと悟った。大腿のリハビリに遠方まで通っていらっしゃるご様子なので、こんな無心な重労働をしてくださるありがたさが身に沁みる。
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Aug 27, 2008

佐藤秀樹さんから電話で

久保覚さんが亡くなって10年になるとうかがう。10年前の9月9日に亡くなったのだと言われて、「なんでもこうやってどうでもいいものになっていく」自分を情けないと思った。久保さんのことを話していたら、20代の頃のいろんなことが思い出されてきて、泣きそうになった。
来週の月曜日、『ジャンヌの涙』を新宿で読む予定だが、この詩集の中の詩をいくども声に出しているうちに、自然に暗誦してしまうようになった短い詩、「こうやって」の1行が強烈に口をついて出てくる。
      こうやって
教会通りの裏道で
男の人に呼び止められた
「衛生病院へはどう行けばいいんでしょうか」
「さあ、この辺のものでないのでわかりません」

衛生病院は弟が死んだ病院だった
それを知らないだなんて
なんでもこうやってどうでもいいものになっていく
すべてがこうやって…
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Aug 25, 2008

2本のかぼちゃ

台所のごみを埋めたところから、かぼちゃが生えてきたので、成長のいいのを2本とって、縁側の上の汚れたプラスチックの張り出し屋根の支柱のそばに植えた。去年、かぼちゃが勢いよく伸びて、屋根に這い登ったので、実こそ付かなかったが、今年はちゃんと伸ばそうと、勢い込んだ。ところが、8月の始めに1本が枯れ、つい最近元気だったほうの残りの1本も枯れているのに気付いた。こないだまで黄色い花が2,3個は咲いていたので、屋根の上で茂り、花も咲いて涼しい日陰になってくれると夢見ていたのに。水遣りだって怠らなかったはず。何がいけなかったのか? 分らない。あのままごみの上に生えたままにしておくべきだったのか? どうもそうらしい。なまじっか移し変え、支柱を立てて紐で縛って、こっちに伸びなさいと、かまったのがいけなかったらしい。どうも生き物を育てるのが下手だ。あまり悲しすぎて書けなかったが、五月の連休過ぎに、かわいがっていた若い方の猫を死なせた。今でも思い出すと、ぎゅーっとむねが苦しくなる。あんまりかわいかったので、弱かったのか。悪意というものがまるで見当たらない子だった。もう20歳に近い、我の強いおばあちゃん猫がいっそうくっついてくるようになって、ふたりで毎日テレビのオリンピックを見た。
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Aug 12, 2008

ジャン・ベッケル『画家と庭師とカンパーニュ』

渋谷の文化村ルシネマの朝一番の回を見ようと出かけたら、もうロビーにあふれる人が並んでいてびっくりした。観客席はほとんどが中高年の女性で満員。ネットのホームページを見ると、8月2日のオープニング以来、平日でも満員が続いているという。大人向きの、落ち着いたよい映画だった。高等遊民風のパリの画家と国鉄保線要員退職者の小学校の同級生の、ボスと庭師という関係での再会。これが、国鉄退職者の最後の夏であり、この再会がマンネリ化していた画家の新しい芸術上の転機となるという、大人の男性同士の夢のようなひと夏。パリとニースを結ぶ、どこか、ラングル高原あたりの田舎の自然の中での夏。ハーブとか、菜園の野菜とか、スローライフのキャンペーンも同時に張っての上映が、退屈した東京の中高年層を動員し続けている。主演のふたりの男優、ダニエル・オートウイユはよく見慣れた性格俳優だし、庭師役のほうも、まなざしのやわらかい、いい味の、ジャン=ピエール・ダルッサンという私には未知の俳優で、監督のジャン・ベッケルはジャック・ベッケルの息子で、1938年5月生まれというから、わたしは同級生だ。強いメッセージからは自由な、同時代を分け持つ感覚が快い、ほっとする、夏の涼風に、しばし34℃の猛暑を忘れた時間だった。
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Jul 30, 2008

小川三郎『流砂による終身刑』2008年7月思潮社刊

 小川さんもわたしも詩誌「ル・ピュール」に作品を発表している。世代は親子ほど隔たる。第1詩集『永遠へと続く午後の直中』は2005年10月の出版で、小田急線玉川学園前駅の踏切りを渡って左に曲がったところにあるコーヒー店で読み終えた。コーヒーを飲むのにちょうどいい季節だった。今回もまたあのコーヒー店で読もうと炎天下に家を出たが、月曜で閉まっていた。いつも行くスーパーが斜向かいなので、おかずを買って、詩集は読まずに帰った。
 きのう、町田図書館のテーブル席が空いていたので、持参していた詩集を開いた。結論から言えば、この人はテーマを持つ必要がある、という思いだった。例えば渋沢孝輔の断念、井伏鱒二の無色に通じるものが読み取れる。第1詩集でも感じたが、この人は決して傍流ではなく、本人の自覚はさておき現代詩の主流を流れていっているに違いないと思わせる骨太さがある。それは何だろうか?自己意識を追い詰めてゆくエネルギーだろうか。小説家の作家魂だろうか。例えばわたしたちの兄さらに父に当る世代の、国に殉ずるという断念。その哀しい目標が崩れたところに残照する意識。それならテーマが無いことこそが、この人の詩の美ではないかと、反対の思いも浮き上がる。
作品「段差」からはじまる負け戦の予感。負けるとはこまごまとした現実感からも切り離されること。生きていくはしごを外される。現実が自分を支えてくれなくなる。そこから《胡散臭い話だ。》《茶番と責務だった。》と切り返して危うく戻ってきて、心底ほっとする。さらに作品「小鳥」の出だし《死人の/気分になったので…足元に小鳥が降り立ち/小さな顔で/私の目玉を見上げている。》は、生の際に立ったときの生との交歓を思わせる。後半の連の言い回しが、渋沢さんの口調を髣髴とさせる。詩集の後半、歴史物を感じさせる作品に入ると、わたしはあまり感心しない。書けすぎて核が柔いと思う。だがその後《私たち移民》という言葉に出会って、この人の書きたいものが見えてくる。やはり詩は夏の朝の露草の青と同じ、たちまち薄れる定めなのだろう。
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Jul 22, 2008

9月1日 声の『ジャンヌの涙』

天童さんのプロデュース ラ・ヴォワ・デ・ポエットのNo. 242として
9月1日に新宿で第5詩集『ジャンヌの涙』1冊を読み切ります。 ぜひお出かけください! メールいただけましたら、地図をお送りします。sumire39@mail.goo.ne.jp までお願いいたします。
天童大人 プロデュース No.242  La Voix des poètes 詩人の声 ―目の言葉から耳のコトバへ―       有働 薫 Kaoru Udo 声の詩集『ジャンヌの涙』(水仁舎刊)
2008年9月1日(月)18時30分開演 於 ギャラリー絵夢(新宿)Tel/fax 03-3352-0413 〒160-0022 新宿区新宿3-33-10 モリエールビル3F  新宿駅東口から歩いて3分    E-mail gallery@moliere.co.jp
ジャンヌ、うまくいかなかった愛
愛するために出かけて行けば、たとえその経過がうまくいかなかったにしても、自分を大きく広げることになるでしょう。「愛されたいと思うのではなく、愛したい、そのほうがわがままにならなくていい」と、テレビ局のインタビューに街の女性は答えています。わたしたちはいま、愛することに非常に敏感になっているようです。
入場料:予約 大人2500円 学生(学生証提示)1500円     当日 大人2800円 学生(学生証提示)1800円 予約は直接会場に電話03-3352-0413(fax 同じ)orメール gallery@moliere.co.jp あるいはプロデュースの北十字舎 電話03-5982-1834 fax03-5982-1797 へお申し込みください。
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Jul 21, 2008

朝顔市からの帰りの人たち

たしか18日の夕方だったと思う。駅前からの玉ちゃんバス(コミュニティ・バス)は満員で、買い物荷物はコーナーに置いて、つり革に斜めにぶらさがっていた。周りを見回すと、ポリ袋を大事そうに抱えた女性がいた。半透明の袋の中はどうやら鉢植えらしい。そっと注目すると、鉢には枠が付いていて、そこに短冊のような札がついており、朝顔の絵がみえた。〈谷中朝顔市〉とも読めた。朝顔自体はすっかり萎れており、花はほとんど姿がない。家に帰って袋から開放し、たっぷり水をやれば、明朝にはいくつか開くかもしれないな。 朝から出かけていって、夕飯時に萎れた朝顔を持って帰る。ご苦労様なことだと思った。じつはもうひとり、近くに同じような袋を抱えてバスの振動に耐えている女の人がいた。わたしは行ったことがない。 ところで、団十郎という品種の花色は、うすい茶色らしい。「暫」の衣装の色だろうか。下町まで便利になったといっても、ここから2時間以上かかるだろう。先日千葉の弟のところから帰ったとき、乗り継ぎは素晴らしくスムーズだったが、3時間半かかっていた。
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Jul 06, 2008

七夕前日

7月第1週は千葉の弟のところへ行った。付近は農家で、稲が15センチほどに伸び、緑の柔らかなじゅうたんを広げている。房総半島の真ん中あたりで、高いところに登ると、太平洋がかすかに眼と同じ高さに見える。田んぼの畦には小さいかえるが無数にいる。話によれば、2階のマンションのガラス窓にも登ってくるそうだ。鳥のえさになるんだよ。と言っていたが、手のひらに載せると、軽い吸い付くような感触がある。勢いよく跳ねて草の中に逃れた。久しぶりに夏草のみずみずしいにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。幼時期の半年、疎開していた九州の伯父の農家の思い出話しに時間を忘れる。記憶を共有する相手がどれほど貴重か。長生きしてほしいなあ。
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Jun 24, 2008

眞神博『修室』 2008年7月1日ダニエル社刊

 この詩集に流れる底流をひと言で云えば、「厳しさ」だろう。いま私は目下訳業中のカエールの詩の数々を思い起している。心情の厳格、折り目正しさ、心のしつけ、そういった意識の力が日常の生活の中でどのように働いているのかが、19篇の作品のそれぞれのシーンごとに示されている。例えば、集中最も美しい「私たちのオレンジ」では、春の日差しの中で人が受胎という事故を起し、空に私たちのオレンジが高鳴る、という画家キリコ的空間が出現し、また、「私は踏切を渡りたい」では、秋の早朝、踏切りに立つ私の目前で電車の通過という完成された出来事が起き、その日常の大壁の前でたじろぐ私に鳩と飛行機が見え、私は踏切りを渡ろうと一歩踏み出す、という、いずれも普段の暮らしを条件付けられながら、一瞬の意識の刃で、その固まった現実と切結ぶ瞬間をきらりとつかみ取る。そこには比喩や夢想といった文学的手法を持ち込む余裕はもはやなく、豊かさ、潤い、癒し等の心的マッサージも無効。もっと切迫した本質としての闘争が瞬時に行われる。修道士や運動家の修練にさらに厳しい意識の修練が不可欠と思われる。いま、現在、詩の行為が可能であるとすれば、この方法しかないのではないか。そのことを作者は声高ではなく、物静かに具体的に示してみせる。そこに深い共感の理由がある。
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Jun 18, 2008

市川慎一『老残教師のマドリッド奮闘記』 2008年5月青山社刊

 1957年度入学の早稲田の仏文専修の学生80数名のうちで、仏文学を一生涯やろうと思っていた人はどれだけだったか、あるいは仏文を第一目標にして入学した人はどれだけだったか、演劇や映画、ジャーナリスト、作家志望、かく言うわたくしだって、ほんとうは露文志望だったのだけれど。市川慎一さんは学部時代は仏文一筋に見えた数少ない学生だった。すでにフランス語は熟達していたし、ただ何を専門に選ばれて教授に残られたのかは、後になって知った。18世紀フランス思想ということが、とっさには市川さんと結びつかなかった。ところが、定年を迎えられる数年前になって、フランス文学者市川慎一の全貌がその数冊の出版書籍から明らかに姿を表した。意外な驚きを伴って。以前、慶応の仏文の教授方と研究を共同されているのに新鮮な驚きを覚えたが、全貌はそれにとどまらず、彼の行動範囲はメキシコ、カナダ、スペインへの調査・講演旅行に広がり、そのスペインへの飛翔の部分が今回の大変魅力的な著書になってわたしたちの眼前に繰り広げられた。一言で、老残どころか、若々しいオープンマインドな知的冒険旅行の醍醐味を分け与えてもらえる。若い時代には望めない、落ち着いた、静かに晴れ渡った精神の伸びやかさ。与えられる一方ではない、こちら側から与え得るものを充分蓄積した精神の、惜しみのない広やかさ。だから、読んでいて気持ちがいい。ちぇっ、要領いいな!と思うところもあり、その無邪気さが読んでいる者の気持ちをいたずらっぽくさせる。外国に出て萎縮するどころか、逆に異文化の中で伸び伸びと日本文化に立脚する自己をさらし得る、小気味よいギブアンドテイクの行動力にうならされるのだ。2006年の2月から3月にかけての6週間、スペイン、マドリッドのアウトノマ大学東アジア専門課程日本専門課程客員教授として招聘された公私両面にわたる痛快な活動記録である。講義のテーマは「日本の文学・思想テクストの分析」で、採用されたテクストは福沢諭吉の『福翁自伝』、中村敬宇『西国立志編』、久米邦武『米欧回覧実記』、長谷川如是閑『日本的性格』、ドナルド・キーン『日本文学の歴史』の翻訳論、加藤周一『明治初期の翻訳』、中江兆民『民約訳解』、柳父章『翻訳後成立事情』、大城立裕の3部作『沖縄の命運』、大江健三郎の人と作品、等々と、眼を見張る多彩さ。さらに市川教授は「司馬遼太郎が見た日露戦争」と題する講演までこなしておられるのである。さらにさらに、富子夫人とのバルセロナ、トレド旅行、美術館見学、さまざまなレストランでの地元グルメの夕食、買い物など、目一杯、めまぐるしいほどの、スペイン堪能活躍記でもあるのだ。
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Jun 02, 2008

6月曇り空

6月に入った。
   ふと立ち止まると、人生という激流を確実に流されていく自分の姿が見える。いくつもの別れを辛酸として舐めつくしながら流されて行くすがた。悲鳴まで。よく、部屋の中で寝ていて、部屋の天井のひと隅に自分の視線があって、寝ている自分を見ている、という話をする人がいるが、わたしには激流にもがいている自分が見える気がする。流れる速度が速まるのは淀みの前かしら?ただぼんやりそのありさまを見ている。
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May 21, 2008

マルク・コベール『小骨列島』

コベールさんから手紙が来たのは2月頃だった。春の休みに日本に行くとあった。4月に入って早々、ある日電話があった。えっつ、もう日本に居るの? けっきょく彼は桜の季節の間日本を旅し、4月29日、日本では昭和の日の祝日に帰国した。コベールさんと2度会った。一度目は新宿西口の新幹線の安売り切符を買いに行き(たいして安くない)、フランス図書でフランスからの輸入本をあさり、夜は三宿の天童さんのドゴンのほえ声を聴きに行き、飲み会でわいわい飲んだ。また別の日にはふらんす堂の山岡社長に会いに仙川へ行き、夕飯をご馳走になった。山岡さんは超多忙の業務を抜け出て付き合ってくださった。ふらんす堂のホームページの山岡さんのブログにその折の親子みたいなツーショットをアップしてくださってある。
『小骨列島』は奇妙な小説である。尾形刑事が究明する事件簿なのだが、関西地方に今も残る竹林にはよく雑誌が捨ててある、そのわけを解き明かす、とか、恋人の遺灰を火鉢に活けて床の間に上げるとか。コベールさんは40代の端正な顔立ちの勤勉な学者だが、彼のライフワークは人間は自己のエロスをどのように表現してきたか、で、このテーマをワールドワイド的に探求、つまり、比較文学的な研究のテーマにしている。彼はシュールレアリズムの側の文学者で、あの、大潮のごとき文学運動は終わったとはいえ、このテーマはいぜんとして個々の学者のもとで掘り起こされ続けている。そのための雑誌も創刊し、今度の日本旅行でキャンペーンしたかったのだが、少々まだ無理のようだ。わたしは学生時代に机上で追っかけていたテーマが、生身の人間の姿を取って目の前に現れていることに不思議な感動を覚えている。 
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May 14, 2008

La Voix des poètes 詩人の声 217

有働薫 Kaoru Udo
第4詩集『スーリヤ』(思潮社刊)を声に

2008年6月13日(金)19時開演
於Star Poets Gallery(渋谷)

「才気に日常を見すえる確かな眼がブレーキとして働いている」と、前作『雪柳さん』(ふらんす堂刊)に評をいただき、大切な指針としてきました。4冊目の詩集『スーリヤ』では、最も空白化した現実の上に精一杯の幻視の花を咲かせてみました。1時間の詩の旅をご一緒していただける機会を得て、とてもどきどきしています。    
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May 04, 2008

町田市民文学館の企画展「愛と別れの詩」

4月15日から6月8日まで、町田市民文学館ことばらんどで、現代詩の企画展「愛と別れの詩」を開催中です。この企画のイベントの1つとして、5月30日(金)午後6時から7時まで自作詩の朗読をします。テーマは「わたしの愛と別れ、そして詩」で、これまでに出版した5冊の詩集の中から、愛をテーマにした詩2篇、別れの詩2篇、そして詩への傾倒として「物語と予感」をテーマに4篇を、少しおしゃべりを添えながら読む予定です。入場は無料で、申し込みはことばらんど℡042-739-3420です。展示のほうも町田市ゆかりの詩人たちの資料を集めて、若い学芸員さんたちの熱気が感じられ、充実しています。他に5月9日は松田幸雄氏、5月24日は島岡シン氏が出演されます。
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Apr 24, 2008

小沢信男『裸の大将一代記 山下清の見た夢』

引き込まれて読んだ。山下清もさることながら、小沢さんの語り口のリズムに魅せられた。わたしは両親が地方出身だから、東京生まれといっても、ことに下町にはなじみが薄い。周りには下町育ちの知り合いも多いが、対し方がなんとなくぎこちなくなってしまう。小沢さんは長い間余白句会での先生でいらした。あこがれの、でももうひとつ近ずきにくい先生だった。この本が以前単行本で出たとき、欲しかったが、あきらめていた。それを、小沢さんから直接、それも恐れ多くも献辞入りで(小沢さんの字体の懐かしさも香り出てきて)いただいて、からだの底からうれしさが沁みてきた。先生、ほんとにありがとうございます。
一気に読んだ。いちばん興味を引かれたのは、式場博士と山下清との丁々発止。インテリ代表ヴァーサス放浪の野生児。お互いの言い分がかみ合うわけがないのを、博士が驚くべき包容力で包み込んでいる。博士が山下清という巨大爆弾に向かって突っ込んで行った感じがする。自分が粉々になる危険を感じて避けるにちがいないこういう事態を、あえて(なぜ?)生き切ったこの人のすごさに感服した。巨人だと思う。このワールドに接することができて本当にうれしい。そして小沢さんご自身のこともすごくわかって、それがまたなんとも魅力がある。先生是非、次を書いてください。楽しみにしています。
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Apr 13, 2008

ヘルペスでした

3月18日の昼間、庭先でころんで、唇を切った。右の肩もしたたかに地面に打ちつけて、唇のほうは腫れ上がらずにすんだ。『ウラン体操』を読む当日だったので、ただただ、外から打ち身や傷が見えないかを心配した。2週間たって、右の腕から肩にかけて、鈍痛が増していき、わきの下に赤い疱疹が並んだ。いっこうに引く気配がないので、駅前の玉川クリニックを受診した。老先生が「ヘルペスですね」と、ニヤリとした。その理由は別の話。結果的には、4月11日の『雪柳さん』まで持ち越し、まだ完治していない。筋肉の奥が、ズーンといやな痛さ。これで、いちばんの困惑は、意欲がすっかり削げ落ちてしまうこと。一刻も早く背中を布団にぴったりつけて、じっとしていたい。それだけが生きる希望のような落ち込み方をすること。机に向かおうとすると、吐き気のような嫌悪を覚える。 しばらく死んだ振りをしていよう。
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Apr 04, 2008

スタラクタイツ・スタラグマイツ

4月11日(金)にギャルリー・東京ユマニテで読む『雪柳さん』の中の1篇、「スタラクタイツ・スタラグマイツ」について、最近起こったあることを書いてみよう。遅まきながら平野啓一郎の1998年に発表されたデビュー小説「日蝕」を読んで、その内的な動機が「スタラクタイツ・スタラグマイツ」に酷似しているのに衝撃を受けた。1975年生まれの若い作家の文学の動機と自分のかつての詩のイメージに共通性があるというのは別に取り立てたことではないと思うが、鍾乳洞内の出来事というイメージの共通性に驚いたのだ。23歳の若い作家がイメージしたものの具体性と展開の強烈性には至っていないが、わたしの場合は「ペレアスとメリザンド」のイメージから派生した、少し形成性をぼかした仕上げになっており、それは、それ以上の想像力が及ばなかったせいもあるが、芸術的志向の点での何らかの共通性を感じてしまったのだ。いま、思いついて矢川澄子さんのくださったはがきを探し出した。きちんとした明確な字体で、「散文詩風なnがいちばん好きで、盗みたいくらいです」とあり、nはスタラグマイツ…である。矢川さんからいただいた唯一の葉書である。
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Mar 28, 2008

谷口謙詩集『惨禍』

最近送られてくる詩集の中ではきわだって分厚い。茶色を基本にしたベースに石あるいはコンクリートの壁の地肌を思わせる部分を配した装丁がある思いを喚起する(装丁直井和夫)。それを言葉で言うのは難しいが、あえて言えば、精神の継続性と言えばいいのか。自分のやってきたことから逃げない、物静かさ。この1冊に向き合うと、何か鬼気迫るものがあると感じられるのは、その気がここに満ちているからに違いない。内容はいつもと変わらぬ、警察医として死体検案書を書くにいたった人、ひとりひとりの無駄のない簡素な記録。要するに、異常な死を迎えた人の死体の記録。たとえば頭が取れ、足が切断されたぐちゃぐちゃな死体に向き合う。80歳を超えて、最終行に初めての経験と記されている。医者の中でも特に特殊な仕事を日々成し遂げていく人の、個人的な感情の極端に切り捨てられた、そしてその記録性が、一種のリズムとも、文体ともなっている、ほかに類を見ない詩。谷口さんとはもう長いお付合いである。先生、良い詩集です。先生もきっと達成感を感じられていらっしゃるのではないでしょうか?読むほうも、そうです。これだけの人々の死の上に立った言葉に、何か信仰に似たようなものさえ(信仰に無縁なものにとっても)感じます。
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Mar 24, 2008

ポエトリー・ボイス・サーキット198 『雪柳さん』を読切る

4月11日(金)に1回めと同じ東京ユマニテで第3詩集『雪柳さん』を読みます。皆さまのご参加をお願いします:
天童大人プロデュース Poetry Voice Circuit 198 ―目の言葉から耳のコトバへ― 有働薫 第3詩集『雪柳さん』(ふらんす堂刊) ~コトバと ゆきやなぎと 怒涛と~ 時:4月11日(金)午後6時30分開場 7時開演 所:ギャルリー東京ユマニテ(GTH) ℡03-3562-1305 〒104-0031東京都中央区京橋2‐8‐18 昭和ビルB1 地下鉄銀座線京橋駅⑥番出口徒歩1分  明治屋斜め向い昭和ビル地下1階or東京駅八重洲口から徒歩8分 入場料:予約 大人2500円 学生(学生証提示)1500円     当日 大人2800円 学生(学生証提示)1800円 予約は直接会場に電話03-3562-1305 or メールhumanite@js8.so-net.ne.jp あるいはプロデュースの北十字舎 電話03-5982-1834 or Fax03-5982-1797 へお申し込みください。 (写真) 「trans」成瀬功
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Mar 20, 2008

『ウラン体操』を読んだ夕べ

18日に広尾の画廊「華」で『ウラン体操』1冊を読切った。版元のふらんす堂社長山岡さんが聴きに来てくださり、スナップがふらんす堂のホームページ内のブログ編集日記 http://fragie.exblog.jp/ にアップされているので、よろしかったらたずねてみてください。編集日記の3月18日の欄にあります。これで心置きなく2冊の初期詩集に封印をほどこすことができる。ちゃんと弔いをしてやれず、死に切れずにうごめいていた言葉たち。さあ、安らかに眠りなさい。と、いまやしんから声をかけることができる。助けてくださった方々に心から感謝します。声は、コトバは、発する・受けるが両方同格です。フランスの詩人たちの間では、詩を聞く力のある人は、詩を書く人以上に尊敬されています。詩を受取る力がいかに大切か。そのちからをみがく機会が与えられて生き返った思いがしています。
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Mar 17, 2008

成瀬山

町田市と横浜市の境に位置するこの地域。なんでも小田急玉川学園前駅からこの地域をつなぐ道路の道幅の中心から片側は町田市、もう半分は横浜市に入るのだそうだ。東京都の地図の南側の縁に盲腸のような突起があって、これがこの地域。天気予報などは神奈川を見たほうが当たりやすい。家から10分ほどの場所に「成瀬山」という小さな山林がある。この林の中に入ると、周囲が新しい住宅の裏側に囲まれている。本当に残り少ない天然の緑地なのだ。ここの丘の上のどんぐりの林の中で、去年の暮れから発声練習をしてきた。午後になると、犬を散歩させるひとがときどき入るので、ひとに会わない午前中の晴れた日にきっかり1時間。天童さんの意見では「有働さんはまだ30分」なので、それを倍の時間声が持つようにトレーニング。今日もこれから行く。
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Mar 11, 2008

猫トイレ

この冬は久しぶりに冬らしい寒さで、廊下やキッチンのリノリユウムの床がすばらしく冷たかった。冬の初めに小さいほうの猫が風邪を引いて、目やにと鼻をジュクジュクさせて見るだけでかわいそう。前足を握ってみると、氷のように冷たい。病院に連れて行こうかと思っているうちに、自力で治した。その後は、年寄りのお姉ちゃんと交代でトイレを使う、その頻度が3倍ほどアップ。毎朝掃除が欠かせなく、サボっていると、お尻がぬれた砂に触るのが嫌いらしく(人間だってもちろん)、周りの乾いたマットの上にお漏らしされたりするので、極力トイレの管理が不可欠な冬でした。現状も同じだが、失敗は少なくなってきた。
ほんとによくトイレと付き合った冬だった。
それでJR成瀬駅のトイレに入ったとき、掃除の行き届いているのにびっくりした。こんな気持ちの良い公衆トイレを使わせてもらったのは久しぶりだな、と、誰に感謝すればいいのか。「地上5センチの恋心」という映画を友人と見たばっかりで、そのヒロインの気持ち、年齢からして、「恋心」のところを「幸せ」に書き直して胸に暖めている。

  大試験トイレのきれいな駅である  かおる

句会で取ってくださった方々に感謝!
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Mar 05, 2008

カポエイラ式腹筋

床に伸びて頭の後ろに両手を組んで上半身を持ち上げる、この運動を繰り返すというのが、古典的腹筋運動で、冬の間はこれを続けてきた。が、どうもつまらないし、すぐに飽きてしまう。早く回数だけこなしてやめたいという気持ちばかり先に立つ。
先日からは新しい腹筋方法を見つけた。それが「カポエイラ」で、立ったままできるのがまず気持ちよい。マルチニックあたりのサトウキビ農園の労働者たちが労働の合間にやる踊りの一部なのだそうだ。ルーツは、農園主の白人たちの暴力に対する防衛法として考え出された身のこなしだというからおどろき。腹筋鍛錬の部分は、片足を後ろに引いてから、その足を思い切り前に蹴り出す。蹴りだした足をからだに巻きつけるように回すからこのとき腹部がぎゅっとねじれる。これが腹部の筋肉運動になる。左足10回、右足10回蹴りだせば、1日のメニューは終了。この手早さもいい。足を前に蹴るときに同じ側の腕を顔にかざして顔を保護する。殴られるときに本能的にとる防御の姿勢。踊りはこの動作を含んでからだをぐるぐる回すとか飛び上がるとか、激しく機敏な身ごなしで、それはちゃんと指導を受けなければ無理。この際は必要なところだけ一つまみ自己流にいただいておく。
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Feb 26, 2008

「スガンさんの山羊」

を町田図書館のパソコンで検索したら、10冊近くタイトルが出ていた。そのうち、岩波文庫の『風車小屋だより』と、新潮社の『世界名作選』を借りて来た。ほかに、「スガンさんの山羊」だけを独立させた子供向けのきれいな絵本を数冊図書館の机で読んで帰った。 桜田佐(たすく)という人のが定訳で、いいと思う。「スガンさんのやぎ」この「やぎ」に点がふってある。訳によって「子山羊」になっていたり「雌山羊」になっていたりする。子供のとき読んだ記憶では「仔山羊」だったように思う。「ヤギ」というカタカナもある。どれでもかまわないだろう。ドーデーのこの短編は、まさしく、ブランケットと名の付いたメスのヤギのあの出っ張ったガラスのような目、真っ白なあごひげやねじったハンカチのようなしっぽがありありと浮かんでくる。草のにおい。澄んだ山の空。すがすがしい自然を味わうことができる。子供たちの間では、あんまり人気がないそうだ。たぶん、悲しい結末が子供の心を傷つけるのだろうと言っている人がいる。たしかに楽しい夢物語ではない。だが何か、人の心の奥底にあるある感情をよびさます。今回戯曲「アルルの女」を読んでいて「スガンさんの山羊」のエピソードに触れると、もういちど読んでみたくてたまらなくなった。
フランス文学には児童文学がない。おとぎ話からいきなり恋愛小説に行ってしまう。とは岸田国士の言だそうだが、たしかに「シンデレラ」や「ロバの皮姫」のつぎに思いつくのは「最後の授業」や「レミゼラブル」、「マノンレスコー」かもしれない。「ロランの歌」や「トリスタンとイソルデ」もある。そんななかでも山羊という子供時代に親しい生き物の実在感をこれほどありありと届けてくれる「スガンさんの山羊」は大好きだ。この雌山羊が自分のような気がしてきて、しばしぼおっとしてしまう。
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Feb 22, 2008

本をたくさん読んだ

正津勉『小説尾形亀之助』は去年の年末に読んだ。加藤道夫の戯曲『なよたけ』を読み、ドーデー『アルルの女』を読み、「スガンさんの子山羊」を思い出して『風車小屋だより』を再読し、町田図書館に予約していた『陰日向に咲く』がきたので読み、山本有三編『世界名作選2』のワイルド「幸福の王子」に涙をながし、いま『小説鉄腕アトム』を読んでいる。絵より文字のほうがやはり自分に合っているなと思いつつ。でもそれをどう扱おうかという新たな気持ち。その間に詩集の拾い読み。木島始さんを偲んだ詩が印象に残った。読書という飛翔。冬の晴れ渡った空を風を受けて揺られている。楽しい。無類の充実感。「スガンさんの子山羊」が気にかかる。「すぐ食べられてしまうほうがよかったのに」という白痴のコトバが意識にこびりついている。
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Feb 12, 2008

2回目は3月18日(火)です!

天童大人プロデュース Poetry Voice Circuit 186
―目の言葉から耳のコトバへ―
有働薫 第2詩集『ウラン体操』(ふらんす堂刊)

時:3月18日(火)午後6時30分開場 7時開演
所:ギャラリー華 ℡03-3442-4584
〒106-0047東京都港区南麻布5‐1‐5
  地下鉄日比谷線広尾駅③番出口 西麻布方面徒歩5分信号3つ目電話BOX奥
入場料:予約 大人2500円 学生(学生証提示)1500円
    当日 大人2800円 学生(学生証提示)1800円
予約は下記のいずれかでお申し込み下さい。
会場電話:03-3442-4584
メール:gallery-hana@nifty.com
北十字舎:電話03-5982-1834
     Fax03-5982-1797
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Feb 01, 2008

二月

1週間ほどやめていた腹筋を再開。すでにもう腰周りがゆるんでいるようだ。
poetry circuit 私の2回目は3月18日広尾のギャラリー華で、第2詩集『ウラン体操』の全読に決まりました。詳しいデータはいずれこの場にアップしますので、よろしくお願いします。
思い切りが悪いけど、先日の「読切る」で、『冬の集積』は本当に成仏させることができたのだろうか? とふと頭をよぎる。 ほとんど批評というものが、当時からなかったので、最後のお線香のつもりで、今はもうないが同人誌「本陣」(1990)の広告欄のコピーを写して、ハナムケにしたい:
『冬の集積』――作品の浸透力のある視力と、その繊細な感受性に感嘆する。――藤原定
先夜はお寒い中を、仏文の先輩で、三浦のご住職がお聞きくださったのでした。ナムアミダブツ。
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Jan 24, 2008

朗読会、無事にすみました

戴いたお花を眺めながら、何もしないで一日を過ごしました。昨夜は普段の何倍かの時間を生きたように思えて、その分を、何もしないほうに取り返さないと危ないような気がして。
言葉は声に出すと伝わるんだと分かりました。24篇にウロアンのエイハブの1篇を足して25篇をちょうど1時間で読み切ることができ、そのうちの幾篇かを、会が終わった後でよかったと言っていただいたことが、とても幸福に思えました。
願いも空しく雪が雨になって、こんな夜に聞きにきてくださって、ありがとうございました。今は、「詩というものは、読み手(聞き手)のなかではじめて完成する。」という言葉をあらためて噛みしめています。
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Jan 22, 2008

雪になりそう

明日はいよいよ朗読会です。毎日腹筋運動をやってきました。『冬の集積』は1987年の出版ですから、21年前ですか。いま読み返すと、自分自身にとってはいまだに新鮮です。この気持が聞いてくださる人のハートに届くか、大いに不安です。小さな画廊で、環境は抜群(ちょっと寒いか?)だと思っています。あーした天気になーれ!
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Jan 08, 2008

ポエトリイ・ヴォイス・サーキットに参加します!

天童大人プロデュース
Poetry Voice Circuit 163

有働薫第一詩集『冬の集積』を読切る!

時:1月23日(水)午後6時30分開場 7時開演
所:ギャルリー東京ユマニテ ℡03‐3562‐1305
〒104-0031東京都中央区京橋2‐8‐18 昭和ビルB1
地下鉄銀座線京橋駅⑥番出口徒歩1分
 明治屋斜め向い昭和ビル地下1階 or東京駅八重洲口から徒歩8分
入場料:予約 大人2500円  学生(学生証提示)1500円     当日 大人2800円  学生(学生証提示)1800円
予約は直接会場に電話03-3562-1305 or メールhumanite@js8.so-net.ne.jp でお申込みください

天童大人さんのプロデュースになるポエトリイ・ヴォイス・サーキットはすでにたくさんの詩人たちが出演していますが、その163回目に、新年1月から参加することになりました。これまでに刊行している5冊の詩集を1冊ずつ5回に分けて朗読しようというものです。第1回は1987年に詩学社から出版した第一詩集『冬の集積』全24篇を読み切ります。続いて、第2詩集『ウラン体操』、第3詩集『雪柳さん』、第4詩集『スーリヤ』、第5詩集『ジャンヌの涙』(2006年水仁舎)と進んでいく予定です。天童さんによれば、詩人は自分の発表した言葉に自分でしっかり責任を持つ必要があるよ、自分の声で。とのコンセプトで、まじりけなしの肉声、マイクなし、音楽なし、コラボなしで、自分の詩と主張するものが果たしてどれだけ自力で伝わるか、全力を尽くしますので、どうぞよろしくお願いします。
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