Apr 25, 2012

コベール氏と

先日来幾度かコベール氏とメールをやり取りしました。続けてほしいという返事でした。ともかく、ちょうど半分ほど(第1部)まで訳文を仕上げたら、出版社を探すこと。これが最も難しい仕事ですがまあ、楽しんでやりましょう。私は現在かなりの完了した翻訳原稿を抱えていて、なお翻訳したい詩集は山ほどあります。世の要請ではなく、自分の興味から翻訳したものばかりです。作者には申し訳ないですが、出版ということにそれほど力を尽す気持ちになれません。機会は外さないつもりですが。私が情熱を感じるのは、テキストと向き合って、苦しがっている最中だけなのです。あとのことについてはなぜか説得力がないです…
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Apr 13, 2012

マルク・コベール『小骨列島』(2)

竹の林
 尾形刑事は思わず飛び上がって、2本の指で受話器をつかむと、捜査チームをそこへ送った。「《O》なにがし」の林、都市化によって蝕まれた昔の竹林地帯の切れ端で、かつては彼の警察署の管轄区域だった。新しい街が程遠くないところに光の明滅する塔を立てた。毎年、余分な賃貸住宅がメガロポリスの北部に建った。この狭い地域はいまだにもって散歩者にたくさんの驚きを用意している。じっさい、この平野が水田か、蕪とキャベツの植わった野菜畑で覆われていたならば、この平らな地域はアヒルの鳴く大池といっしょに、もっと遠くまで稜線や竹で覆われた険しいくぼ地としてえぐられるのだ。この部分のあるものは、春にたけのこを収穫する地主によってこせこせと保存されているのだ。垣にふちどられて幾本もの道が通っていた。大きな枝が規則正しく刈り込まれている。だが、他のところは…小道は途切れ、通れない窪みの上に宙吊りになってしまうか、落葉が窪みを好むものだから、隠れた敷物の中に足が沈みこんでしまう。この空中の林の奥に接近するのを遮断するほどまで、枝が繁茂している。農夫たちはめったに彼らのちっぽけな土地の先まで入って行こうとはしない。テニスクラブのボールの打ち交す音が聞え、コートの金網は迂回した小道に沿って続いている。ときたま、ボールが竹林の間に落ち込むが、だれも探しに入ろうとはしない。カラーのウオームアップスーツを着た会員が、強くカーブした枝の下を衣ずれの音をたてて禁じられた道を小走りにたどる。こどもたちは立札で危険を警告されており、それらは蝙蝠の翅のように真っ黒なケープをはおった悪魔的な存在であったり、「チカン(簡単に言えば性的マニア)」であったり、釣竿を持って溺れかけている子供(自分のせいなのだが)、であったりする。つまり、立札には農夫たちが黒ペンキで「入るな!」と絵解きで警告文を書いているというわけだ。
さらに、優勢になるのは教訓の裏面だ。相手と欲望を一致させるために孤独になりたいと欲する人もいるものだ。尾形刑事はこの問題についてはよくわかっている。長いこと風紀事件にたずさわってきた。自然の本能を恥の意識が際限なくおさえ付けることはできないのを彼は知っている。あり余る生命力から解放されるため林を迂回するのは、最もしばしば中学生たちなのだ。彼らは自分たちの精液をスポンジ状の腐植土のように吸収してくれるエロ雑誌のページの上でかれらの根っこを振り回す。不妊のポルノ女優たち、服従したトップモデルたち、みんなが体を膨らまし、黄金の雨や青春の雨で妊娠させられているのだ。彼らはすばやく種をまく。ポルノ雑誌は風でめくれ、糊付けがはがれて栄養になる腐植土と化し、そこから竹の巨大な勃起が突き出す。そこでは、もう少し緩やかだが、もっと貪欲な精液の持主である、下っ端の官吏や、小商売の男たちも見かける。彼らは列になって種まきをする。

 それにしてもガイジンはヌードの切抜きを習慣にしてはいなかったのか?

 彼は当惑して黙りこくっていた。彼を魅了していたのはある種の写真だけで、この印刷のヌードの断片は靴の上に蝶のようにひらひらとまって、そのシルエットが葉群れごしの柔らかな光の中に遠くからきみに呼びかけてきたり、はたまた風変わりな演出の芝居のようだったからだ。
 尾形刑事はこの種の繰り言をよく知っていた。きれいだったからだ、と説明しているわけだ! ガイジンは精神的なひきこもりの一種、「オタク」(注5)だったのだ。
原注5  「オタク」とは外的世界に対する、家の中の世界を表す。さらに、でき得るかぎり外出せず、他人から孤立して、漫画、テレビゲーム、インターネットに没頭し、変態的なバーチャルな世界の中で生きようとする人をも表す。

 この男は、こんな常識外れの振る舞いをする性向を受けついでいたのか、あるいは竹の一撃を受けたのだろうか? ともかく、彼は黒い汁で一杯になった沼の底にもぐろうと考えていたに違いなかった。だが、それには数週間かかるだろうし、ヒキガエルと水牛の会話を邪魔するだけのことだろうし、両棲類が調子よく鳴いている錆びた自転車が底から引き上げられるだけのことだろう。
 時間が過ぎ、刑事の同僚たちはもう焼鳥屋のけむたい空気を楽しんでいるに違いない。あわ立つビールがかれらの喉を大いに楽しませているだろう。それにひきかえ、刑事は…。 この事件は進展しなかった。彼は事務の女の子に言いつけて、寿司の箱3枚とアサヒ辛口ビールの銀メッキのビンを三本注文した。

赤い部屋
 つまりこの男は、ふたりの被害者のうち、少なくとも一方をよく知っていたというのか? 尾形刑事はふたりの女性の写真を示した。ふたりはどういう関係だったのだろうか? なぜこの男は、裏に「赤い部屋に隠されたたくさんの秘密を知っています」とだけ書いたはがきを彼に送ってきたのだろうか? ふたりの失踪者の苗字と名前がそのあとに書いてあった。ともかく、説明してもらわなければなるまい
―引越ししてから間もなく、ある日わたしはベッド用の羽根布団を買いに出かけました。混んでいない時間で、買い物客はまばらでした。デパートの最上階で、寝室のコーナーを、いつか自分のものになるのはどんな部屋なんだろうと自問しながらぶらぶらしていました。ボンボン入れみたいな色の着いた大きなベッドがありました。わたしは自分のベッドを赤い色で覆うことを想像しました。赤はわたしの好みの色だったんです。シーツもカバーも枕カバーも、素晴らしいセットになって指の間を流れ落ちました。あとで、わたしは赤紫色のカーテンさえ買い足しました。これと反対に、衣装戸棚のドアと造り付けのランプは黒にしました。わたしの部屋は「赤い部屋」になりました。部屋全体が無煙炭の塊りにルビーをはめ込んだみたいに美しく効果を増していました…
―きみはひとりでやすんだのかね?
―ひとりで眠りましたよ。
―だれか親しくなったひとがあるかね?
―彼女は黒いレースの下着をつけていることが多かったんです。あるいは、傷跡のある体にまとっていたのは暗赤色のサテンの布地でした…
―えっ???
―ええ、傷です。彼女はわたしにからだの傷を見せました。わたしたちの関係は「文化的違い」について果てしなく議論することから始まったんです。わたし達は、日本女性の小さな乳房について話しました。彼女のデリケートな胸に触ろうとしてわたしが手を伸ばしても気を悪くすることはありませんでした。うっとりとして、彼女は慄いていましたが、わたしをがっかりさせまいとしてか、あるいはわたしの好奇心を募らせようとしていたかでした。もっとも、彼女の胸は傷だらけでしたけど。

 まぶたのかすかな動きとまばたきが、この「ガイジン」の大学教授が神経を昂ぶらせているのを示していた。尾形刑事はふたりの失踪者のうちのひとりの家族と交した会話を思い出していた。この失踪女性は子供っぽくて、いまにも壊れやすそうな性格だった。二才の時、そしてその後二年おきに、心臓の先天的奇形のために手術を受けていた。この恐ろしい手術は彼女のからだに、胸骨の上のいちばん大きな傷を隠すために大きなメダルの付いた鎖を提げているように見える傷跡を残していた。それから傷痕は円くて硬い乳房の下側までまわっていた。腹には星形の肉のくぼみがまぎれもなく付いてはいたが、両の乳房は無事で、このからだに奇跡的な美しさを与えていた。

 ―それでも彼女は、灯りが消えるような慎みぶかい動作を保ちながらベッドにもぐりこみ、どこもかも赤いこのベッドと黒い下着の取り合わせは、売春の世界を思わせると言っていました。彼女はこのしつらえはわたしの名誉をけがすものだという気持ちを持っていました。こんな結果はまったく望まなかったことでした。わたしはこの暖かい色彩が彼女の裸体の背景だとは決して思っていなかったんです。
 ―今なら、きみはもう少しうまく若い女性を描写できるかね? きみたちの関係はどうやって変化したのかね?
 ―彼女の身長はわたしよりちょっと低かったんです。いちばん特徴があったのは、まぶたが円くて切れ長になった顔立ちでした。まぶたが切れ込んで長いために、目はどんな場合にも魅惑的でした。それはわたしを恋させるのに充分でした。とても細いまゆげの下のこんなにむき出しの素晴らしいまぶたのせいで、ブッダの生まれ変りのように思えました。口は肉づきがよく、下くちびるは丸く、上くちびるはめくれたアーチのようでした。彼女はとても注意深く自分の顔色を利用していましたが、化粧はほとんどしていませんでした。わたしは黒い兜のような黒髪の下の彼女のうなじが好きでした。とても深くて黒々とした髪は肌と見事なコントラストをつくっていました。
 ―わたしたちの住んでいる地域が地震に襲われ、死を免れたという感覚がたぶん私たちを接近させたのでしょう。大きく裂けた部屋べやに面したドアを開けはなして、同時に死人の数が増えていくのを目撃しました。破壊の光景はしばしば人間をエロティックな熱狂の中で結びつけるものです。わたしたちは廃墟の中で恋人同士になったのでした。控えめな彼女は自分は地震なんかじゃないわよと云っていました。きれいな娘が男を根底からおびえさせる、地震波にさらされた地面のように。彼女は内的な破綻にも打ちのめされていて、そんなとき、いちゃつくことが苦悩に対する強い気晴らしを与えてくれるのです。ある日彼女がわたしに会いに来たのは涙にくれながらだったんです。わたしたちは偏見のない自由な調子で会話し、何でも言うことができました。ことに、平均化された社会が決して明かすことのないことがらを、彼女にながながと質問しました。また、彼女はわたしのきりのない質問に答えるため、さらにわたしにもっと愛させるためには何ものにもたじろぐまいとして、ある夕べ、わたしにきっちり包んだ包みをさし出したんです。中身は彼女のいちばんきれいな黒いサテンのパンティと、お揃いのブラジャーでした。それらは夕日にきらきら輝いていました。通行人が包みの中身をじろじろ見ています…わたしは下着コレクターじゃないからといって、包みを返しましたが。考慮して欲しいのは、彼女の下着は洗濯ロープからたびたび盗まれていることです。その地区の警察に訴えていました。
 ―その後、きみは帰国したんだね…どんなふうに仲たがいを準備したのかね?
 ―彼女が来るなんて想像もしていませんでした。恥も外聞も捨てて没頭したこのわたしへの恋が、ろうそくが最後に蝋と煙の哀れな混ざり合いになるように、おぼれてしまうのを危ぶんでいたんです。彼女は遠くからわたしと規則的につながりを保ち続け、それからある日飛行機に飛び乗ったんです。
 尾形刑事は間違った推理をたてはじめていた。そこで問題となってくるのは、自分を愛してらおうとちょっとしたエロチックなおののきを恵んでくれる相手は殺せないような二流の変質者にすぎなかった。そんなことでは、とても彼の見識を高めることにはならなかった。
 ―彼女と再会して、きみはしあわせだった。彼女がきみを忘れていなくて…
 ―わたしはすっかり孤独に暮らしていました。でも過去にひき戻されることが常に幸せであるとはかぎりません。
 ―そこできみは彼女を厄介払いしようと考えた…と尾形刑事は、自白をうながし、しかし絶対に自白させる確信があるわけでもなく、言った。
 ビールが刑事の脳みそに新鮮な細かい泡になった風を送った。
 ―いいえ、当時は、彼女に再会できてしあわせでした。モスクよりもっとがらんとしたアパートでじゅうたんの上に座って、わたしたちは部屋に閉じこもって暮らしていました…
 ―毎日なにをやっていたのかね?
 ―わたしは本を読み、勉強し、彼女のほうは座禅を組み、呼吸運動を実行して、あまつさえわたしの精神を和らげることにもなるからと、いくつかの技を教えてくれもしました。ふたりは性的でもあり、子どもっぽくもある愛のとりこになっていました。彼女の強迫観念のひとつはからだを洗うことでした。浴室は船の船室みたいになりました。
 ―えっ???
 ―ええ、アパートの浴室はオーナーが豪華趣味だったのでヴィクトリア朝風でした。めったにない贅沢さに胸がきゅんとなるほどでした。焼けるほどの熱湯がほとばしり出る巨大な蛇口がいくつも付いた真鍮製の配管を背景にして、ガラスのキャビンが四角な部屋の中央を占めていました。恋人は天使に夢中になっていました。彼女が来る少し前に、アぱートから遠くない歩道に本が幾冊か散らばっているのを拾い集めておきました。その中でいちばんま新しいのは、太平洋戦争の話でした。この本はわたしの心をむしばむ退屈を、もっと大きな退屈のおかげで克服するのを助けてくれました。湯船の中で読みました。(続く)
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Apr 01, 2012

マルク・コベール『小骨列島』

小骨列島――5つのエピソードでできた小説 マルク・コベール  2000年5月、パリ、ファイヤール社刊
目次
第一部 尾形刑事の苦悩
第一章 柔らかな陶土
第二章 人魚の話
第二部 尾形刑事の勝利
第一章 ノゾキとチカン
第二章 低温の愛
第三章 美食家
(裏表紙の紹介文)
 『小骨列島』は、日本の刑事尾形が、忠実な部下の大黒に補佐されて行う警察の一連の捜査として、うわべは整った日本の社会を震撼させる渦の真実を記録したものと読むことができる。 窃視症と変態性欲も含まれるこれらの犯罪は、じっさいは失踪、日本語で言えば「蒸発」、つまり市民が自発的に姿を消すという観念と結びついている。  第一部では、尾形刑事は事実への疑念とあり得なさに直面する。乱脈でとっぴな尋問、検証の難しい矛盾した証言、耐え難い現場検証。  第二部は仮説がしだいに確証になり、虚構を見やぶり、真実を発見しはじめる喜びがにじみ出てくる。  尾形刑事は、一見するといかにも反動分子なのだが、捜査を進めるにつれて、ひとりの哲学的美食家を快楽と死の極限まで送っていくほどの変貌を示す。  この、暗黒小説への皮肉な賞賛は日本語と東洋的知識という衣装をまとって、伝統と現代性と退廃の間で引き裂かれる日本を背景に持っている。  マルク・コベールはアンジェ大学文学部教授。日本に6年住んでいた。
第一部 尾形刑事の苦悩
第一章 柔らかな陶土
 署長机の後ろでひたいに汗をにじませて、尾形刑事はメンツを失うまいとしている。発作のわななきが身内にのぼって来るのを感じる。汗のつぶがこめかみを流れるのをみると、たいへんな衝撃を受けているのがわかる。頭骸骨はたまごよりつるつるで、屈辱とみなされるものに決着をつけようとするあらゆる試みは空しかった。新聞で報じられた救済策はいずれも彼の眼をのがれず、妹はしょっちゅう家にいて、テレビで見た宣伝を逐一彼に知らせてよこした。先刻飲み下したカプセルのせいで鼻がぐずぐずし、櫛には新しく生えた毛が抜けて絡んだ。ねっとりしたふけがベストの襟くびにたまって、くりかえしそれを手のひらで払う。ときどき首すじを手でマッサージして不快な思いを追い払おうとする。  数ヶ月の間をおいて、二つの失踪事件が起こった。両方とも、関西注1地方に住む三十代の独身の女性である。  死体の発見、鎖に繋がれた骸骨、あるいは海底に括り付けられた死体、検死のために研究所に委託される以前に身元確認できるすべてを洗い落とされてしまった存在、これが尾形刑事を待っていたであろうすべてである。しかし結局のところ、それは最悪の仮説というわけではなかった。  海底に沈められた死体を発見したのは、もぐり漁の漁師で、大きな鮑に手を突こうとした瞬間のことだった。ニュースが列島じゅうを駆け抜ける。いつだって犯人は発見される。だが、彼らに確実に有罪の判決をすることはできない。いつだって被害者は発見できるが、確実に身元を確定することはできない。  たしかに大まかではあるが、尾形刑事の捜査方法はしかしその真価を発揮した。彼は重々しく被疑者の過去を調べるのだ。  ひとりの外国人が取り調べのためにすわっている。ズボンの裾と左足のソックスに乾いた血痕がある。彼はここに来る前に陶器を焼く窯のかどで怪我したのだと証言する。おまけに、彼は失踪した二人の女性を知っているとまで主張しており、彼女たちがどうなっているかも知っているかもしれないのだ。だが、少量の乾いた血痕だけで、だれかがもう疑われたというのだろうか?この男の仕事は買占めなんかではなく、ノヴァ校でフランス語の授業をしており、そのおかげで彼は生活でき、それと引き換えに製陶技術の初歩を現場で学びつづけていられるのだ。彼は師匠について実習することからはじめ、京都市街の西に自分の窯を設けた。この界隈は昔は貴族階級の住んでいた所だが、今はまったくさびれていた。彼は丘の間の元ヤク注2ザのアパートに住んでいる。それは広大な庭園のそばにあるごく小さなビッラ別荘である。家主はきちんと家賃を受け取っている。そうしなかったら、持主のヤクザ仲間に脅かされていたことだろう。関西地方に数年間すごした後、彼はかなり長期間フランスに戻っていた。その後、観光ビザでふたたび日本に入国し、ビザは半年毎に更新できる労働許可証に変更された。妻や愛人は知られていない。しかし、彼には兄弟姉妹はなく、三島のようにホモセクシュアルな男性に誘惑されている様子もない。 原注1  関西地方には、大阪、神戸、京都といった大都市が含まれる。 原注2  日本の泥棒グループの一員  陽が沈み、警察署の窓下を通って帰宅する大谷中学校の生徒たちの声がやんだ。彼らは皆、マリンブルーのベストと灰色のズボンに黒い靴をはいている。この見かけ上の確実性が真実を隠蔽するはずはない。だって、生徒のひとりひとりが予測しがたく、最も常軌を逸した毛細管的な工夫でその個別性を養っているのだから。鼻や上下の唇や両ほほ、は言うに及ばず、最も多いケースである舌でさえほとんど透明なイヤリングがはめこまれているのだ。尾形刑事は顔をわずかに外にかしげて彼らを眺め、息子のことを考えた。彼らの頭の中で何が起きるのか知るよしもないが、しばしば彼らの口から恐ろしい言葉が飛び出す。彼らはお互いにランドセルでやたらと殴りあい、あるいはいちばん弱いものを囲いの壁で押しつぶすのだ。もしや新たな犯人がすでに彼らの間にひそんでいはしないか?  うちの息子は?……尾形刑事は考える。  年長の息子を夜間学校へ迎えに行かなければならないのだが、無理だろう。実直な運転手の遠藤に代りに行ってもらおう。  自分の息子がいつか殺人犯にならないか、あるいは犠牲者にならないかがわかる父親とは、いったいどういうやつだろう?  息子はきょう、裾に折り返しのついてない、汚れてぼろぼろのズボンをはいていた。日本の中学生全員がやっているように靴にだらりとかぶせている。誰も何も言わない。流行なのだ。大事なのは、スクールカラーを守ることだ。月曜ごとに、校長が生徒たちを校庭に集める。校長は彼らに毎回同じ説教をする。だれも聞いていない。 ちょうど二年間、国に帰っていました。引越し荷物のなかに青白の磁器が入っていました。空になったアパートのドアの後ろでは、どんなささいなことであれ、初めの生活を思わせることはできないものです。段ボール箱を開くとたくさんの皿類が割れていました! 外国人の男は椅子の下で足を動かした。わたしはこの男の云うことがまるでわからない。外国語が習われ始めて四〇年は過ぎていない。この男は入り口を嗅ぎまわっていた。武器は持っていなかった。両手は震えている。正確な日本語で自己を表現していたが、しかし不十分だ。ある大学の教授はしきりに通訳を使いたがった。やつらは知り合いだったのか? いや、確か反対だったはずだ。同じ学部に勤務してはいても、けっして出会うことはなかっただろう。このあたりにはe‐メールが入り込み、大規模ネット・ワークが接続されているにもかかわらず、不透明な仕切りが立っているのだ。老教授連中の最後の学期は隠然たる喧嘩によって暗澹たるものとなる。新入り教授たちの最初のお手合わせはエレベーターで昇り降りする妙なる道行きの間にいかに黙ってぺこぺこできるかにかかっている。
―ダンボール箱には何が入っていたのかね?
―かがやく朝日を受けて、たくさんの品物や書類が溢れ出ました。全部数えれば長い時間がかかるでしょう…
尾形刑事は日通国際運送会社の領収書を調べていた。貨物明細目録によれば、多くの茶碗、数個の花瓶、ドアのカーテン、筆、 注3和紙などが入っていたことがわかった。 原注3  やや厚めの枚葉形の、天然の柔軟な紙
―わたしの好みは必ずしも値段じゃなかったんです。たとえば、赤い真珠層の大型の貝殻や、銅鑼を載せた紫色の絹の小型の座布団など…
―銅鑼だって?<br>尾形刑事は驚いていた。伝統を確認させられていた。どんな死者、どんな生者に話しかけるつもりだったのだろうか?
―この銅鑼は大阪の四天王寺で買いました。小さく、せいぜい2回打つと、一度だけ強い音がふくれて、日本精神にいざなわれるんです。両手が機械的に、あの世でするように真実心をこめて合わさるんです…
―その時何を考えるのかね?
―とくに誰のことも。僕自身の今の寂しさのことを…ぼくがたびたび訪れるあの世の人たちのことを。もうけっしてふたたび会うことはないと感じるすべてのひとのことを。
―その人たちの中には、われわれが捜している女性もいたのかね?
―ええ、でも他のたくさんの人たちといっしょです。たくさんの顔が輪になってわたしの精神に迫ってきました。あるいは音符だったかもしれません。ねえ、子供の頃、ベッドで夜の暗闇の中で、網膜をまだ震えさせているアニメを見た後で、眠ることができないように…
尾形刑事はどっと笑い出した。その笑いは夜の真珠になってこぼれ、街のうわさに追いついていった。もちろん、尾形刑事も通訳者も「シャドック」のことは知らなかった。この男を大学病院の精神科に委ねるべきだったろうか? ふたりの女性を殺したのがもし彼であったなら、たしかにスキャンダルになるだろう。せいぜい彼がふたりを直接消費することを楽しんでいなければよいが!
―ほら、あんたの頭が廻り始め、ラインの動く範囲に音符が集まる。ト音記号がひとりでに前進する。すべてが音波の下で振動し、よみがえるのは常に同じ耐え難い旋律です。5つか6つの音符がばらばら降ってきてもうあなたを放さず、闇の中で2本の指を唸らせながら、あなたは起きたままでいる。だからあなたはこれらの妙なる存在にとても近くなるんです…
尾形刑事は日本の空港の税関吏のように、すぐに言葉を続けた。
―あんたはこのたぐいの品物を持ってきたかね?
そして彼は自分の鼻の下でモンタージュ写真を振り回した。そこには注射器、ドラッグ、乾燥した蛇、ポルノ雑誌、Xヴィデオ、メリケンサック、刀、銃剣、土蜘蛛、生きた蛇、さそり、しだの束、臓器、幻覚剤が写されてあった。つまりそれは悪の一覧表だったのだ。 外国人は吐き気を覚えた。顔からは不快感が読み取れたが、この否認の動きは結果として突発的なひらめきをもたらした。いや、彼にはそれらしいところはまったくなかった。芸術的な美しいヌード写真数枚を持ち去ったことを彼は認めた。また、エロチックとグロテスクの間の、少なくとも風変わりな浮世絵の伝統を踏襲している佐伯 注4俊男の本もあった。刑事はこの挿絵画家をよく知っていた。この画家は信仰と堕落のきわめて個人的な明細目録を作成した人で、ヤスデの姿をした痴漢でなければ、悪魔あるいはトカゲ類の姿をした角の生えた生き物たちが、眠っている女子中学生を襲いに来るというようなものであった。「ガイジン」は紙ばさみの中に一連のエロチックな写真を集めていた(彼はこのジャンルにこだわりがあったのだ)。それらは竹林の中をジョギングしていたときに偶然みつけたものだった。(続く)  
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