Apr 13, 2012

マルク・コベール『小骨列島』(2)

竹の林
 尾形刑事は思わず飛び上がって、2本の指で受話器をつかむと、捜査チームをそこへ送った。「《O》なにがし」の林、都市化によって蝕まれた昔の竹林地帯の切れ端で、かつては彼の警察署の管轄区域だった。新しい街が程遠くないところに光の明滅する塔を立てた。毎年、余分な賃貸住宅がメガロポリスの北部に建った。この狭い地域はいまだにもって散歩者にたくさんの驚きを用意している。じっさい、この平野が水田か、蕪とキャベツの植わった野菜畑で覆われていたならば、この平らな地域はアヒルの鳴く大池といっしょに、もっと遠くまで稜線や竹で覆われた険しいくぼ地としてえぐられるのだ。この部分のあるものは、春にたけのこを収穫する地主によってこせこせと保存されているのだ。垣にふちどられて幾本もの道が通っていた。大きな枝が規則正しく刈り込まれている。だが、他のところは…小道は途切れ、通れない窪みの上に宙吊りになってしまうか、落葉が窪みを好むものだから、隠れた敷物の中に足が沈みこんでしまう。この空中の林の奥に接近するのを遮断するほどまで、枝が繁茂している。農夫たちはめったに彼らのちっぽけな土地の先まで入って行こうとはしない。テニスクラブのボールの打ち交す音が聞え、コートの金網は迂回した小道に沿って続いている。ときたま、ボールが竹林の間に落ち込むが、だれも探しに入ろうとはしない。カラーのウオームアップスーツを着た会員が、強くカーブした枝の下を衣ずれの音をたてて禁じられた道を小走りにたどる。こどもたちは立札で危険を警告されており、それらは蝙蝠の翅のように真っ黒なケープをはおった悪魔的な存在であったり、「チカン(簡単に言えば性的マニア)」であったり、釣竿を持って溺れかけている子供(自分のせいなのだが)、であったりする。つまり、立札には農夫たちが黒ペンキで「入るな!」と絵解きで警告文を書いているというわけだ。
さらに、優勢になるのは教訓の裏面だ。相手と欲望を一致させるために孤独になりたいと欲する人もいるものだ。尾形刑事はこの問題についてはよくわかっている。長いこと風紀事件にたずさわってきた。自然の本能を恥の意識が際限なくおさえ付けることはできないのを彼は知っている。あり余る生命力から解放されるため林を迂回するのは、最もしばしば中学生たちなのだ。彼らは自分たちの精液をスポンジ状の腐植土のように吸収してくれるエロ雑誌のページの上でかれらの根っこを振り回す。不妊のポルノ女優たち、服従したトップモデルたち、みんなが体を膨らまし、黄金の雨や青春の雨で妊娠させられているのだ。彼らはすばやく種をまく。ポルノ雑誌は風でめくれ、糊付けがはがれて栄養になる腐植土と化し、そこから竹の巨大な勃起が突き出す。そこでは、もう少し緩やかだが、もっと貪欲な精液の持主である、下っ端の官吏や、小商売の男たちも見かける。彼らは列になって種まきをする。

 それにしてもガイジンはヌードの切抜きを習慣にしてはいなかったのか?

 彼は当惑して黙りこくっていた。彼を魅了していたのはある種の写真だけで、この印刷のヌードの断片は靴の上に蝶のようにひらひらとまって、そのシルエットが葉群れごしの柔らかな光の中に遠くからきみに呼びかけてきたり、はたまた風変わりな演出の芝居のようだったからだ。
 尾形刑事はこの種の繰り言をよく知っていた。きれいだったからだ、と説明しているわけだ! ガイジンは精神的なひきこもりの一種、「オタク」(注5)だったのだ。
原注5  「オタク」とは外的世界に対する、家の中の世界を表す。さらに、でき得るかぎり外出せず、他人から孤立して、漫画、テレビゲーム、インターネットに没頭し、変態的なバーチャルな世界の中で生きようとする人をも表す。

 この男は、こんな常識外れの振る舞いをする性向を受けついでいたのか、あるいは竹の一撃を受けたのだろうか? ともかく、彼は黒い汁で一杯になった沼の底にもぐろうと考えていたに違いなかった。だが、それには数週間かかるだろうし、ヒキガエルと水牛の会話を邪魔するだけのことだろうし、両棲類が調子よく鳴いている錆びた自転車が底から引き上げられるだけのことだろう。
 時間が過ぎ、刑事の同僚たちはもう焼鳥屋のけむたい空気を楽しんでいるに違いない。あわ立つビールがかれらの喉を大いに楽しませているだろう。それにひきかえ、刑事は…。 この事件は進展しなかった。彼は事務の女の子に言いつけて、寿司の箱3枚とアサヒ辛口ビールの銀メッキのビンを三本注文した。

赤い部屋
 つまりこの男は、ふたりの被害者のうち、少なくとも一方をよく知っていたというのか? 尾形刑事はふたりの女性の写真を示した。ふたりはどういう関係だったのだろうか? なぜこの男は、裏に「赤い部屋に隠されたたくさんの秘密を知っています」とだけ書いたはがきを彼に送ってきたのだろうか? ふたりの失踪者の苗字と名前がそのあとに書いてあった。ともかく、説明してもらわなければなるまい
―引越ししてから間もなく、ある日わたしはベッド用の羽根布団を買いに出かけました。混んでいない時間で、買い物客はまばらでした。デパートの最上階で、寝室のコーナーを、いつか自分のものになるのはどんな部屋なんだろうと自問しながらぶらぶらしていました。ボンボン入れみたいな色の着いた大きなベッドがありました。わたしは自分のベッドを赤い色で覆うことを想像しました。赤はわたしの好みの色だったんです。シーツもカバーも枕カバーも、素晴らしいセットになって指の間を流れ落ちました。あとで、わたしは赤紫色のカーテンさえ買い足しました。これと反対に、衣装戸棚のドアと造り付けのランプは黒にしました。わたしの部屋は「赤い部屋」になりました。部屋全体が無煙炭の塊りにルビーをはめ込んだみたいに美しく効果を増していました…
―きみはひとりでやすんだのかね?
―ひとりで眠りましたよ。
―だれか親しくなったひとがあるかね?
―彼女は黒いレースの下着をつけていることが多かったんです。あるいは、傷跡のある体にまとっていたのは暗赤色のサテンの布地でした…
―えっ???
―ええ、傷です。彼女はわたしにからだの傷を見せました。わたしたちの関係は「文化的違い」について果てしなく議論することから始まったんです。わたし達は、日本女性の小さな乳房について話しました。彼女のデリケートな胸に触ろうとしてわたしが手を伸ばしても気を悪くすることはありませんでした。うっとりとして、彼女は慄いていましたが、わたしをがっかりさせまいとしてか、あるいはわたしの好奇心を募らせようとしていたかでした。もっとも、彼女の胸は傷だらけでしたけど。

 まぶたのかすかな動きとまばたきが、この「ガイジン」の大学教授が神経を昂ぶらせているのを示していた。尾形刑事はふたりの失踪者のうちのひとりの家族と交した会話を思い出していた。この失踪女性は子供っぽくて、いまにも壊れやすそうな性格だった。二才の時、そしてその後二年おきに、心臓の先天的奇形のために手術を受けていた。この恐ろしい手術は彼女のからだに、胸骨の上のいちばん大きな傷を隠すために大きなメダルの付いた鎖を提げているように見える傷跡を残していた。それから傷痕は円くて硬い乳房の下側までまわっていた。腹には星形の肉のくぼみがまぎれもなく付いてはいたが、両の乳房は無事で、このからだに奇跡的な美しさを与えていた。

 ―それでも彼女は、灯りが消えるような慎みぶかい動作を保ちながらベッドにもぐりこみ、どこもかも赤いこのベッドと黒い下着の取り合わせは、売春の世界を思わせると言っていました。彼女はこのしつらえはわたしの名誉をけがすものだという気持ちを持っていました。こんな結果はまったく望まなかったことでした。わたしはこの暖かい色彩が彼女の裸体の背景だとは決して思っていなかったんです。
 ―今なら、きみはもう少しうまく若い女性を描写できるかね? きみたちの関係はどうやって変化したのかね?
 ―彼女の身長はわたしよりちょっと低かったんです。いちばん特徴があったのは、まぶたが円くて切れ長になった顔立ちでした。まぶたが切れ込んで長いために、目はどんな場合にも魅惑的でした。それはわたしを恋させるのに充分でした。とても細いまゆげの下のこんなにむき出しの素晴らしいまぶたのせいで、ブッダの生まれ変りのように思えました。口は肉づきがよく、下くちびるは丸く、上くちびるはめくれたアーチのようでした。彼女はとても注意深く自分の顔色を利用していましたが、化粧はほとんどしていませんでした。わたしは黒い兜のような黒髪の下の彼女のうなじが好きでした。とても深くて黒々とした髪は肌と見事なコントラストをつくっていました。
 ―わたしたちの住んでいる地域が地震に襲われ、死を免れたという感覚がたぶん私たちを接近させたのでしょう。大きく裂けた部屋べやに面したドアを開けはなして、同時に死人の数が増えていくのを目撃しました。破壊の光景はしばしば人間をエロティックな熱狂の中で結びつけるものです。わたしたちは廃墟の中で恋人同士になったのでした。控えめな彼女は自分は地震なんかじゃないわよと云っていました。きれいな娘が男を根底からおびえさせる、地震波にさらされた地面のように。彼女は内的な破綻にも打ちのめされていて、そんなとき、いちゃつくことが苦悩に対する強い気晴らしを与えてくれるのです。ある日彼女がわたしに会いに来たのは涙にくれながらだったんです。わたしたちは偏見のない自由な調子で会話し、何でも言うことができました。ことに、平均化された社会が決して明かすことのないことがらを、彼女にながながと質問しました。また、彼女はわたしのきりのない質問に答えるため、さらにわたしにもっと愛させるためには何ものにもたじろぐまいとして、ある夕べ、わたしにきっちり包んだ包みをさし出したんです。中身は彼女のいちばんきれいな黒いサテンのパンティと、お揃いのブラジャーでした。それらは夕日にきらきら輝いていました。通行人が包みの中身をじろじろ見ています…わたしは下着コレクターじゃないからといって、包みを返しましたが。考慮して欲しいのは、彼女の下着は洗濯ロープからたびたび盗まれていることです。その地区の警察に訴えていました。
 ―その後、きみは帰国したんだね…どんなふうに仲たがいを準備したのかね?
 ―彼女が来るなんて想像もしていませんでした。恥も外聞も捨てて没頭したこのわたしへの恋が、ろうそくが最後に蝋と煙の哀れな混ざり合いになるように、おぼれてしまうのを危ぶんでいたんです。彼女は遠くからわたしと規則的につながりを保ち続け、それからある日飛行機に飛び乗ったんです。
 尾形刑事は間違った推理をたてはじめていた。そこで問題となってくるのは、自分を愛してらおうとちょっとしたエロチックなおののきを恵んでくれる相手は殺せないような二流の変質者にすぎなかった。そんなことでは、とても彼の見識を高めることにはならなかった。
 ―彼女と再会して、きみはしあわせだった。彼女がきみを忘れていなくて…
 ―わたしはすっかり孤独に暮らしていました。でも過去にひき戻されることが常に幸せであるとはかぎりません。
 ―そこできみは彼女を厄介払いしようと考えた…と尾形刑事は、自白をうながし、しかし絶対に自白させる確信があるわけでもなく、言った。
 ビールが刑事の脳みそに新鮮な細かい泡になった風を送った。
 ―いいえ、当時は、彼女に再会できてしあわせでした。モスクよりもっとがらんとしたアパートでじゅうたんの上に座って、わたしたちは部屋に閉じこもって暮らしていました…
 ―毎日なにをやっていたのかね?
 ―わたしは本を読み、勉強し、彼女のほうは座禅を組み、呼吸運動を実行して、あまつさえわたしの精神を和らげることにもなるからと、いくつかの技を教えてくれもしました。ふたりは性的でもあり、子どもっぽくもある愛のとりこになっていました。彼女の強迫観念のひとつはからだを洗うことでした。浴室は船の船室みたいになりました。
 ―えっ???
 ―ええ、アパートの浴室はオーナーが豪華趣味だったのでヴィクトリア朝風でした。めったにない贅沢さに胸がきゅんとなるほどでした。焼けるほどの熱湯がほとばしり出る巨大な蛇口がいくつも付いた真鍮製の配管を背景にして、ガラスのキャビンが四角な部屋の中央を占めていました。恋人は天使に夢中になっていました。彼女が来る少し前に、アぱートから遠くない歩道に本が幾冊か散らばっているのを拾い集めておきました。その中でいちばんま新しいのは、太平洋戦争の話でした。この本はわたしの心をむしばむ退屈を、もっと大きな退屈のおかげで克服するのを助けてくれました。湯船の中で読みました。(続く)
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