Oct 17, 2015

パーセルとモーツァルト

《わたしのことをおぼえていてね でもわたしの運命はわすれて》 ヘンリー・パーセルはロンドンに生まれロンドンに死んだ。1695年36歳の若さだった。生涯に残した曲は400曲以上、1791年35歳で600以上の曲を残して死んだモーツァルトのほぼ100年前の予感の翳ではないか。 冬の夜遅く劇場から帰宅したパーセルを妻が閉め出したので夜じゅう戸外にいて風邪を引いたとか、いや結核だったとか死因はモーツァルト同様確定されていない。 パーセルはモーツァルトのように求職に苦しむこともなく、ウエストミンスター寺院付きの音楽家で、寺院が職場で司教に眼をかけられて安定した生涯を音楽に捧げた都会っ子だったのだから、まったく不幸ではなかったかといえば、そんなことはない、こんな哀しいアリアを創造する感情をかかえていたのだ。モーツアルト晩年の曲の諦念(外部にではなく自己の内面に向かう気持ち)をパーセルは先取りしている。ディドのアリア「When Im laid in earth」と歌曲「夕べの想い」は、人間は思考と感情のほかに音楽で命を養っているのだということを悟らせてくれる兄弟だ。食を断つように、音楽を絶つならば、壮絶な死が待ち受けるだろう、なぜかと言えばそれは緩慢に飢えつつ死に至ることだから。つまりそれが《agony》と呼ぶところのものなのだ。
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Oct 05, 2015

ヒルデスハイマーの「モーツァルトは誰だったのか」

《誰だったのか》とあらためて問わなければならないほど、現在のモーツァルト像は18世紀後半に実在したモーツアルト本人からかけ離れてしまっているとヒルデスハイマーは言う。そうした虚像を《洗濯いたし候》というのがこのエッセイの趣旨であるからとても面白い。この20世紀前半を苦難のうちに生きた(ナチに追われたユダヤ系ドイツ人作家である)強い視線から、過酷な生を遂げた天才音楽家の贅肉の取れた素の姿が浮かび上がる。ことにアウグスブルグの従妹テークラへの分析がうれしかった。自分のテークラ像がいっそう確かめられた。そもそも(とあらたまって)私がジャンヌ・ダルクへの関心からモーツアルトの音楽に詩作のテーマを移したのも、この辺の事情にあるからだ。ジャンヌへの関心が遠のくきっかけは、ジャンヌと母親との関係に行き当たった時だった。このへんの込み入った事情はいずれ自分の詩で説明しなければならないと思っている。単純に言えば、今はオルレアンに行くよりアウグスブルグヘ行ってそこの空気を吸ってみたいと思うということである。「モーツァルトが心中を吐露したのは、ただひとり、音楽だけである。その音楽にしても、彼の人生や生活体験との並行関係を樹立しようと努力する人たちには、解明の鍵となってくれない。そのためには、芸術的純化という途方もない過程を跡づけて追体験できなければなるまい。だがそれを実現するためには、またしてもモーツァルト流の天才的な描写能力を必要とするであろう。…」丸山匠訳、白水社1976年刊。作品から作者の実像を導き出すことはほとんど不可能だ、それが可能なのはモーツァルトのような天才だけに限られる。つまりお前にはできないぞと判定されたようなものだが、がんばれ、うどうサン!!
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Oct 02, 2015

スウィートナーの『魔笛』

すっかりご無沙汰してしまいました。ますます過酷さを増してくる日本の、今年の夏をどのように乗切られましたか。 しばらく前からオトマール・スウィートナーの指揮するドレスデン・クロイツ合唱団の『魔笛』をほぼ毎日聴いています。2,3年前に、町田のブック・オフで紫地に緑の文字の紙のケースに惹きつけられ、同時にずっと昔、N響の常任指揮者だった頃のスウィートナーさんの肖像が記憶から浮き上がり、すぐにでも聴いてみたくてたまらなくなりました(スウィートナーさんの初来日時のエピソードをお話したいのですが、改めます)。3枚組みで、もちろんリブレット付です。ここしばらくは3枚目ばかり繰り返して聴いています。いつも思うのですが、モーツァルトという作曲家は終わりがものすごく潔いなーと、どの曲でも聴くたびに思います。おばあさんの枕辺のお話の終わりのような、やさしくてほのぼのとした、それでいて決然とした終りなのです。素っ気無いのではなく、もう充分に楽しんだのだからと、決然と満ち足りた終りなので(ひとつの世界観の終りと)す。私のモーツアルト熱 は曲の終わり方に魅せられたのだと、そして自分の書く作品もこのように終わりたいと、そういう意味では唯一大切な師匠です。(もうひとつ決定的に教わった事があるのですがそれはまた改めて)そして近頃では、この3枚目を聴いて、安心して一日を終えるのです。いくつかのフレーズを翌日は歌って過ごすのですから、満ち足りた日常を与えられ、これからの短い秋の美しさを大切にすごします。
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