Aug 30, 2008

鈴木志郎康さんの解題

ルネ・シャールの詩に、詩人と詩の関係には3つの段階があるという内容の詩があるのだが、ここ数日、その詩が頭から消えない。 詳しく説明する余裕がないが、その、最終段階に自分がいるのではないかと、しきりに思う。
「なにぬねの?」という、岡田幸文さんのサイトに参加させてもらって、鈴木さんとの通信線ができたのは2月。この8月末からシロウヤスさんの、私の詩作品への解題が始まった。
このサイトでは、多くの詩人たちのコーナーが見れる。ここ灰皿町の大家さんのお顔も見える。
荒療治の歯医者さんにかかるようなものだと訴えるわたしに、冷静沈着なシロウヤスさんは、「書いている人の立場に近付く」読みをするので、心配はいりませんよと、腕のいい優しい歯科医の先生と同じ。ほっとして、リラックスしてお任せするのがいちばんと悟った。大腿のリハビリに遠方まで通っていらっしゃるご様子なので、こんな無心な重労働をしてくださるありがたさが身に沁みる。
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Aug 27, 2008

佐藤秀樹さんから電話で

久保覚さんが亡くなって10年になるとうかがう。10年前の9月9日に亡くなったのだと言われて、「なんでもこうやってどうでもいいものになっていく」自分を情けないと思った。久保さんのことを話していたら、20代の頃のいろんなことが思い出されてきて、泣きそうになった。
来週の月曜日、『ジャンヌの涙』を新宿で読む予定だが、この詩集の中の詩をいくども声に出しているうちに、自然に暗誦してしまうようになった短い詩、「こうやって」の1行が強烈に口をついて出てくる。
      こうやって
教会通りの裏道で
男の人に呼び止められた
「衛生病院へはどう行けばいいんでしょうか」
「さあ、この辺のものでないのでわかりません」

衛生病院は弟が死んだ病院だった
それを知らないだなんて
なんでもこうやってどうでもいいものになっていく
すべてがこうやって…
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Aug 25, 2008

2本のかぼちゃ

台所のごみを埋めたところから、かぼちゃが生えてきたので、成長のいいのを2本とって、縁側の上の汚れたプラスチックの張り出し屋根の支柱のそばに植えた。去年、かぼちゃが勢いよく伸びて、屋根に這い登ったので、実こそ付かなかったが、今年はちゃんと伸ばそうと、勢い込んだ。ところが、8月の始めに1本が枯れ、つい最近元気だったほうの残りの1本も枯れているのに気付いた。こないだまで黄色い花が2,3個は咲いていたので、屋根の上で茂り、花も咲いて涼しい日陰になってくれると夢見ていたのに。水遣りだって怠らなかったはず。何がいけなかったのか? 分らない。あのままごみの上に生えたままにしておくべきだったのか? どうもそうらしい。なまじっか移し変え、支柱を立てて紐で縛って、こっちに伸びなさいと、かまったのがいけなかったらしい。どうも生き物を育てるのが下手だ。あまり悲しすぎて書けなかったが、五月の連休過ぎに、かわいがっていた若い方の猫を死なせた。今でも思い出すと、ぎゅーっとむねが苦しくなる。あんまりかわいかったので、弱かったのか。悪意というものがまるで見当たらない子だった。もう20歳に近い、我の強いおばあちゃん猫がいっそうくっついてくるようになって、ふたりで毎日テレビのオリンピックを見た。
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Aug 12, 2008

ジャン・ベッケル『画家と庭師とカンパーニュ』

渋谷の文化村ルシネマの朝一番の回を見ようと出かけたら、もうロビーにあふれる人が並んでいてびっくりした。観客席はほとんどが中高年の女性で満員。ネットのホームページを見ると、8月2日のオープニング以来、平日でも満員が続いているという。大人向きの、落ち着いたよい映画だった。高等遊民風のパリの画家と国鉄保線要員退職者の小学校の同級生の、ボスと庭師という関係での再会。これが、国鉄退職者の最後の夏であり、この再会がマンネリ化していた画家の新しい芸術上の転機となるという、大人の男性同士の夢のようなひと夏。パリとニースを結ぶ、どこか、ラングル高原あたりの田舎の自然の中での夏。ハーブとか、菜園の野菜とか、スローライフのキャンペーンも同時に張っての上映が、退屈した東京の中高年層を動員し続けている。主演のふたりの男優、ダニエル・オートウイユはよく見慣れた性格俳優だし、庭師役のほうも、まなざしのやわらかい、いい味の、ジャン=ピエール・ダルッサンという私には未知の俳優で、監督のジャン・ベッケルはジャック・ベッケルの息子で、1938年5月生まれというから、わたしは同級生だ。強いメッセージからは自由な、同時代を分け持つ感覚が快い、ほっとする、夏の涼風に、しばし34℃の猛暑を忘れた時間だった。
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