Jun 20, 2013

ヴィンチの「アルタセルセ」、ターンテーブル付きオペラ

 昨2012年11月2~10日フランス北東部の町ナンシィで上演された18世紀バロックオペラ「アルタセルセ」全3幕がYoutubeに投稿されている。1幕ずつ3回にわかれているが全幕見ると4時間近くになる。インターネットのライブストリーミングでの鑑賞でよい所は、開演前の舞台裏の様子や歌手たちの会話、オーケストラの音合わせなど、上演にまつわるもろもろの様子がさまざまに映されること。親切な番組だと、主役の歌手のインタビューや、プロデューサーの意気込み、指揮者の考えなどまであらかじめ取材してある。客席の顔も時折アップで映される。このオペラでは、そういった現代の上演形式を逆手にとって、すべてをオペラ全体に取り込んでしまって欲張りである。衣装をつける前の、白塗りも半端なガウン姿の主役たちを準備中の舞台正面に呼び寄せて挨拶をさせたり、男性歌手が女性のドレスをつけるために上半身はだかになるのを後ろから写したり。劇の世界への導入へわくわく感を盛り上げる。タイトルはペルシャ皇帝アルタセルセ(アルタクセルクセス)だが、実質的な主役はその臣下アルバーチェ。子供のころからいっしょに育ったという設定の皇帝の息子と側近の息子との友情物語でアルバーチェは死刑寸前で救われてめでたしめでたしで幕。筋書き自体たあいないのは承知の上で、この4時間をどうやって人間ドラマに盛り上げるか、4時間をあきさせないのが作曲家の腕前。記憶に残るメロディーがいくつもある。ことに第1幕最後のアリア「Vo solcando(わたしは水を切って進む)」を歌うアルゼンチン出身のカウンターテナーファジョーリの魅力が十分に発揮されている。この人はハイCとかの特技はあまりアピールしないが、ドラマ性、人間性が純なパワーとして一身に凝縮していて安定感がある(1981年生れ)。5人の若手スターカウンターテナー競演が売り物の一つだが、ファジョーリの他は女装の2人がなんとも奇妙な美しさを振りまく。アルバーチェの妹で、皇帝の恋人セミーラ(バルナ=サバダス1986生れ)、皇帝の妹で、アルバーチェの恋人マンダーネ(チェンチッチ1975生れ)、この二人がしかしドラマのもつれた筋書きをほどく役を果たしていく。衣装の奇妙さは今回の上演のいちばんの魅力で、セミーラは第1幕では肩から羽の生えた真っ白な白鳥の姿をしており、第2幕では孔雀姿のロココの姫君、第3幕ではわっかの入ったロングスカートの金色の鳥で幸福な結末を予想させる。ただし第1幕の白鳥姿の衝撃の後だけに2番煎じの感が否めない。もう一回画期的な変身が欲しかった。ただし、3幕でのセミーラの出番が少なくて、衣装も後回しにされたか。デザイナーの意欲も台本には勝てない? 第2幕の宮廷内の駆け引き場面は歌手たちはフリルずくめの白一色のルイ14世風衣装で権謀術数が乱れ飛ぶ。舞台の中央にターンテーブルがあり、主人公たちが悩み苦しむ場面はこのテーブルに載ってぐるぐる廻るというのがユーモラスかつ妙にレアリスティックな心理学的演出。寝巻き姿の背の高いジャルスキーが頭を抱えてこのテーブルの上に2度も3度も倒れこんでぐるぐる回るのが父を殺された王子の茫然自失をうまく表現している。このテーブルは円盤ではなく正方形で、その1端に暗殺用の毒杯が置かれるのも印象が深い。正月明けからずっとこの最新演出オペラにとりつかれてデスクトップのパソコンを覗き込みっぱなしだった。あっという間に4時間が過ぎてしまう。毎日家に居ながらにしてオペラ三昧とは、王様だってうらやましがるだろう。18世紀当時にはオペラ後進国だったフランスがヨーロッパの財産としてグルノーブルなど中堅地方都市での上演も奨励しているそうだ。男性歌手は実力と個性に突出した若手が各国から集められ、表情を塗りつぶした女性たちはすべて制服の裏方スタッフで、ともすれば歌手たちに集団で干渉して劇の進行を微妙にコントロールしようとするのが面白い。舞台袖の暗闇の中で演出家が舞台上の演技を見て笑っているのがフランスっぽく余裕がある。
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Jun 07, 2013

OPIUM と ALCOOL

アポリネールの詩集『アルコール』のアルコールという言葉の含む意味がいまいちすっきり飲み込めていなかったのですが、コベールの小説『骨の列島』(背骨列島改め)をくりかえし読んでいて、ああ、そうなんだ、とすとんと胸に落ちたのは、ごく最近のことです。日本女性の恋人とのコミュニケーションの困難さを、氷はたくさん入っているがアルコールのほうはわずかしかもう残っていないウオッカのグラスに例えているくだりで、アポリネールの意図のほうにも思いが廻ったのでした。もちろん詩集の冒頭の詩「地帯」の最後には「君の命のように燃えるこのアルコールを」というフレーズがあって、詩集のタイトルのなぞを明かしているのでしたが。アポリネールもそうやって生き、コベールもそしてCDのタイトルを『OPIUM』(阿片)とした若いカウンターテナーも、揮発性の高いアルコールを飲みほすように現在を酔い、生きているのだと思うと、わたしたちの一瞬はいのちの水なのだともういちど気が付くのです。
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