Sep 24, 2006

渋沢詩の謎

町田図書館で現代詩手帖の古い号を引き出して拾い読みした。最近号はたいてい出払っていて読むことができない。それで、3月後れぐらいで拾い読みする。渋沢孝輔特集で、渋沢さんの生家が養蚕業を営む地主の家だった書いている人がいて、「縒糸島」について、長年ひっかかっていた謎が解けた。yoriitojima、つまり「絹の国」なのだ。晩年の渋沢さんとかなり対話したが、ご自分の家のことをあまり話されなかった。ぼくは真田のサルトビ佐助だよ、とはいくども酔った勢いにふざけておっしゃった、とてもうれしそうに。「絶てんの薔薇」が少しも恋愛のほうに傾かないのが当時は不満だったが、ようやく落ち着いた。渋沢さんの生家は長兄の代になって幼稚園をなさっていて、渋沢さんの作られた園歌がかわいい、と思ったことがある。あと、宮本さんに漆の色はなに色か、と聞かれたという話が興味深い。親友同士の秘密だそうだが、宮本さんの話をよくされていたから。わたしだったら、朱色と答えるだろう。自分に対するいくつかの対応のされかたから、わたしは渋沢さんのモラル性の高さを感じることがしばしばあった。北と南だが、地方のインテリの出自、といったようなコンプレックスが共通していたかもしれない。付け加えて、「ロランの歌」の雰囲気がどこかにあった。フランス詩の最高峰の品格を具える詩だ。 フランスの文芸月刊誌「ウロープ」1997年3月号の日本現代詩特集に渋沢さんは自分で作品を選ばれた。「調絃」、「即興」、「岸辺」、「たまゆら3」の4篇だった。ワッセルマンさんの訳が苦労なさっただけにすばらしく、渋沢さんも、ぼくの詩はけっこう翻訳に耐える構造を持っているらしいよ。とこれは安心したという表情だった。翻訳はバシュラールの「夢見る権利」が自分でも満足がいくと打ち明けられた。わたしは、「岸辺」が朗読の代読に推薦していただいたこともあって、いちばん好き。そのために暗誦している。「ぼくにお箸をかしてください」ではじまる、そしてこのフレーズに「あなたのお箸」という限定を足して最終行が終る「唄」と題する初期の詩が、なぜか心に残ってやまない。
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Sep 20, 2006

秋日和

今日から秋の彼岸。台風13号がよろよろと、あと味の悪い災害をのこして日本海を北に去った。「嵐のあとはハダカで洗濯」と母がよく云っていた、そんな暑い晴天。なにもかも泥の中に浸け込んで。ピースボートで地球を1周してきた人が、けっきょく、日本の自然が最も美しいと結論する。その世界一の風景は毎年泥の中に崩し落とされ、また必死に再生され、それをくり返して成り立つつかの間の美か。自然の災害から開放されるどころか、以前には考えもしなかった悲惨なダメージがますますエスカレートして行く。人間同士も、互いに絶望的に傷つけ合っている。陸地はいずれ水没する。そうなる前に死ねることが人類の唯一の僥倖だなんて。 生者の不意を衝いてつかのま姿を現す「死者の町」について、 アルベール・ポフィレ『中世の遺贈』を町田図書館で借りて読んでいるものだから、頭を占領されている: ブルターニュの神話だそうだが、現われ方に2通りある。 ①ある湾で漁をしている船が、錨が外れないので、ひとりの漁夫が海へもぐってみると、教会の搭に絡まっていた。窓からのぞくと、内部は明るく、着飾った人びとが大勢集まり、ミサが始まろうとしている。司祭がミサの進行をしてくれる人はいないかとたずねている。あとで港の牧師が言った。それはイスの町だ。もしその時あなたが申し出れば、その町は蘇っただろうにと。海底の町がどこにあるのか、もう決して分からない。 ②たぶん、フィニステール県の港町ドアルヌネーズ辺り、女が海水を汲みに浜辺に行くと、不意に巨大な柱廊が現れ、そこに入ると市場がにぎわっている。商人が美しい布地を呼び売りしていて、買ってくれ、としつこく頼まれたが、財布を持っていないので、買えなかった。ふと気がつくともとの浜辺に一人で立っていた。教会の牧師の話では、もし、ほんの切れ端でも買ってやっていたら、その町はこの世に蘇ることができたのに。 死者たちは、生者の目前にいつも頼みごとを抱えて、現われる。死者の町には欠けたものがあって、それを生者に求めて一瞬姿を見せる。要請が受け入れられないと分かればたちまち姿を消す。 台風で泥水に呑み込まれた街は、緑の稲田の続く美しい風景を回復したがっている。ひとびとは必死に町を掘り起こす。生の現実の裏側に巨大な無言の死の町が横たわっている。
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Sep 07, 2006

この夏の収穫

 この夏を印象づける、また終戦から61年目の夏を終えるにあたって、2つの特徴ある出版を挙げよう。1つは岩切正一郎氏による新しいボードレール論『さなぎとイマーゴ』、もう1つはコ・ヒョンヨル作ハン・ソンレ訳の長詩『リトルボーイ』、どちらも大部な力作で、読み手の側も本来的な意味で作品に対峙する胆力を要求される。『さなぎ…』のほうは383ページのボリュームにまず圧倒されるが、読み始めると、びっくりするほど口当たりがいい。よい意味でである。つまり、鈴木信太郎訳の岩波文庫『悪の華』をめくりながら読み進むうち、信太郎訳がすいすい入ってきはじめるから、おどろく。本書中の訳と解析を通過して、なんと信太郎訳の「よき古さ」が逆くにこちらに流れ込んでくる。岩切さんは長年ボードレールに取り組んでおられる学究だから、満を持しての論考だろうが、そういった堅苦しさがなく、現代っ子学者とはこういうものかと思わせるクリアさ(明晰)と柔軟さが全体を領している。ボリュームを気にしながらも楽しく『悪の華』再読を歩きとおし、この恐ろしき詩人、人間としての巨人性をしみじみとと受け取ることができる。端的に言えば、ユゴーとボードレールの違いをなんのもつれもなくこちらの引き出しにしまいつつ、ユゴーに捧げられた詩、ユゴーの賛辞、ユゴーより20歳若く、ユゴーより20年先に死んだ(生の長さはユゴーのたった半分でしかなかった)その苦闘の詩学にしばし呆然とするわけだ。世代が進んで、詩が新しくなるためには、詩が再読、再々読に耐えうる質をそなえているかいなかが肝要だ。
 そういった意味での時間の経過の面から、広島原爆投下を叙事的にとらえた7900行の力作『リトルボーイ』が韓国の詩人によって書かれたことは意味深い。広島の犠牲者(広島20万人、長崎14万人)のうち1割が韓国から徴用された人たちだったという事実が日本の原爆被害として同列に、わたしたちの意識に刻まれてはいないことに粛然とさせられる。そういう申し立てをわずらわしいものとしてしか受け止めてこなかった日本社会の狭量さが、戦後60年以上経っても「仲直りできない」根っこにあるのはまちがいないだろう。わたしたち日本人の歴史的意識の底に淀んでいる韓国、中国に対するいわく言いがたい感情の歪みを、加被害関係の視点を超えた文明論として整理し認識しあう作業が必要だろう。その提案を韓国の側から出されていることに、わたしたちはあわててもいいのではないか。そしてこの作品はこれも大部さが気になりながら、ちっともいやではない、むしろさあ、この続きはどうなるのだ、読みたい、という思いで最後のページをめくらせる詩的レベルをゆうに備えているのだ。出版元の鈴木比佐雄氏によれば、事実誤認ほか問題点の修正につとめたとのことだが、この背骨の通った作品のすごさには変わりがない。鈴木氏のコメントの書き方が実に爽やかで、同じ翻訳を業とする者として、大変うらやましく思うことでもある。朝夕の涼しさに浸って、今年の夏の過ぎていくのを見つめている。
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Sep 03, 2006

蟻塚の快楽

メーテルリンク「蟻の生活」を読み終えた。蟻は出来ることをし、もっているものを与える。驚くほどの平和愛好者。蟻塚の蟻は働いて自分の袋に溜め込んだ栄養を吐き出して、他の蟻に与える。その行為が唯一の「快楽」で、求められれば、決して拒絶しない。蟻は地下の暗闇で生活しているから、ほとんど眼が見えない。通信は触手による。前足で相手を撫でてコミュニケーションをとる。バルチック地方の琥珀の中に蟻の死骸が見つかる。人間は生物の中でいちばん遅く地球に来たから、蟻がどこから来たのか知ることはできない。蟻は地球外から来たのかもしれないとメーテルリンクは結論として言う。これまでの蟻学をほぼ検討して、それに実地の観察を加えている。この作家がただものではないことがわかる。例えば、この本に沿ってテレビのディレクターが映像を取れば、人類を他の生物と区別したいという「不満」に膨れかえっている現代文明の将来を占うヒントに満ちたドキュメントになるだろう。謎に満ちた台本をいくつも創造した劇作家の頭の中にはさらに神秘に満ちた地球外への想像力が萌しはじめている。他の作品で読んだのだが、メーテルリンクの想像力の出発点は、子供の頃、井戸に落ちて溺れかかったときの視覚だという。「ペレアス…」や「青い鳥」のこの世を越えた視覚の存在の原点はどうやらここにあるらしい。
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Sep 01, 2006

涼しくなってきた

防災の日。きのう町田の東急ハンズに行って、防災グッズのコーナーを通りかかったので、携帯ラジオと、携帯トイレを見た。いずれも高くて手の出る値段ではない。
街を歩いていると、ブーニンさまのリサイタルの横断幕が張ってあった。町田市。と書いてある。市でやるんならもうちょっとチケット安くしないのかな、チラッと思ったが、行くのには服のことなど、いろいろメンドイから、いいや。諦めるのも早い。 薄暗くなって家に帰って、疲れてうたた寝してしまった。「次郎長背負い富士」の最終回を見のがすところだった。タイトルの意匠と音楽が気に入っている。編み笠をかぶってつんのめり気味に1列縦隊のキョウキャクたちがなんとも可愛い。こけつまろびつ、富士山の頂上には3人だけたどり着いて、腹ばいになってご来光を拝んでいる。これらはみんな布地の刺繍なんです。紫色がきれい。最終回はつまらなかった。うたた寝してたほうがよかったかな。次郎長は布団の上で死んだのかどうか、ディレクター無責任だよな。
真夜中過ぎて、すなわち今日、防災の日、お気に入りのブーニンのショパンをパソコンで聞いて、満足して寝た。
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