Nov 30, 2013

ターナーからの示唆

上野の都美術館にターナー展を見に行く冬まじかの秋晴れの1日。やっと自分を取り戻した気分。夏から秋にかけて充実はしていたが忙しなかった。それでいて孤独だった。孤独はいいけど、友人がいない、という寂しさにちくちく刺されていた。ターナーをじっくり見て、自分の現状を肯定することができた。 13歳ごろすでにずば抜けた精密なデッサン力で父親を驚かせた。建築学を学び、壮大な石の宮殿、教会、遺跡、にひとりでたじろぐことなく向き合った。このひとは生まれつきの才能で自然と歴史に向き合っている。パトロンの貴族の邸宅に逗留させてもらって、この城のための絵を頼まれ、難破船の大きな油絵を差し出したがパトロンの気に入らず、完成させて飾られることはなかった。灰色の海が実に美しい。黄色気違いだったそうだが、灰色のほうがもっと美しい。この展覧会中最も引き込まれた絵だったが、絵葉書やカタログでは平凡に変貌してしまっている。青年時代の美貌に比べ、晩年のクロッキーのみすぼらしさ。絵は形をなくし、ますます存在感を増しているのに。現実の人間は醜く滅びていく、その反比例として生み出す美が冴え返る。 中部フランスのロワール川を遡るスケッチが美しいことは以前から知っていたが、こんどその全貌をつかめて満足している。モーツアルトがそうだったように、ターナーも人間のシステム、社会を越えてその視線が遠くのほうへ向かっていく。神ではなく、人間の意識が研ぎすまされていく過程を一直線に追っかけている。芸術家たるもの、それが王道なのだろう。
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