Jan 21, 2006

時こそ今は…

花は香炉に打薫じ
ボードレールのフレーズをきっかけにしてうたい始められた「いかに泰子、いまこそは」(Ecoute Yasuko, c'est maintenant le moment と訳されている、見事だ)のリフレインを持つ中原中也の詩である。中也の代表作としてとりあげていないアンソロジーもあるが、わたしは自分がフランス詩を土壌にしているせいもあって、この詩が中也の中では最も好きだ。シチズン時計の入社試験のとき、記入した書類を見て、審査員から中也の詩について質問された。好きな詩人として適当に書いておいたのに目をつけられて、ドキッとした。実はあまり読んでいなかったから。「汚れっちまった悲しみに」の最初の2行を暗誦すると、それで許してもらえた。たぶん審査員も中也をあまり詳しくは知らなかったのだろう。質問が他に移って、ほっとした。面接試験で覚えているのはそこのところだけ。「時こそ今は…」を読んだのはそれからずっと後のこと。
イヴ=マリ・アリュー氏による中也の全詩仏訳本が昨夏にフランスで出版されて、わたしは宇佐美斉さんから雑誌「流域」にかかれた紹介文のコピーを頂いた。昨日ようやく新宿のフランス図書にひきとりにいって、手に入れたが、じつに美しい本である。 この恵みの薄い短い人生を終えた詩人の詩が読まれるということは、ほほとんど奇蹟に近い。後の人々が愛惜して、ようやく、その詩の本当の価値が、かたちとして示された。「詩人が死んで」のシャンソンをまるで地でいくように、苦労性で、人生の洞察に長けたフランスで、読まれるように。ベルレーヌに似ている中也がランボーやボードレールを下敷きに詩を作ったように、中也を下敷きにフランスの次世代が生まれるように。そのために、ゆうがた、揺り香炉のように、薔薇が揺れてにおって、この日常の美しさにひととき浸る、詩はそこにあると、この本は証言する。すぐに消えるが、祭壇に祈るまでもなく、今、ここにたしかににある。
写真もたくさん挟まれているが、そのうち、二九歳のきちんと背広を着た肖像(三〇才で死んでいるのだ)を見て、イサクが、頭のよさそうな顔してるね、と言った。たしかに、と思った。
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