Nov 24, 2006

薦田愛さんへ

 お詩集『流離縁起』ありがとうございました。「マツユキソウヲサガシテイラッシャイ」のフレーズに触発されて、この夏に読んだブルターニュ伝説の「イスの町」を想像しています。海底に沈んだ町が、ふとしたきっかけでひとの目の前に現われる。小さな頼みごとがあって、それを聞いてあげないと瞬く間に消えてしまう。町は死者の町で、この世に生き返りたいと、生者に頼みごとをするが、不意のことで、頼まれた漁師(水を汲みに来た女)は聞き入れることができない。一度消えると、もうどこにその町があるのかわからない。この話はさびしげで荒涼としているようですが、どうも中国の「桃源郷」に想像が繋がってしまいます。歴史的なヨーロッパの過酷さ、東洋の温和さがイメージにも影を落とすのかもしれません。押入れの整理をしていて、モン・サン・ミッシェルの絵葉書が出てきて、とっさにああ、これはイスの町だと思いました。まだ実際に見たことはないのですが、友人で、パリからバスで日帰り参詣した人は幾人も居ます。 意識の中に持っている風景は、自分一人のものというより、自分の出自からおのずから浸みでて来るものだという気持ちが強くなってきています。そのための容器であり得るかどうか、蓋を開けずに生を終ることのほうが多く、それはそれでいいのだけれど、ひとたび流れ出し始めると、止めどもない。詩を書くものは、その容器の蓋が開いてしまった者だというような気持になって来ています。
Posted at 16:57 in n/a | WriteBacks (1) | Edit
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お便り拝受

有働さま お便り拝受し、御礼さしあげたいと存じながら打ち過ぎておりました怠惰を、どうかおゆるしください。拙著をお手にとってくださり、嬉しく存じます。お便りにあった、容器の蓋を開けた者、というくだりに、強く共感を覚えたのでした。蓋を取ったその下は閉ざされた場所ではなく、有働さんの言葉を借りれば出自から浸み出してくるもの、というべきか、私の感覚だと、川や沼のように淀んだり底を滑っていくものがあったりする源から、個々が(記憶を、物語を)汲み上げて息をし物思いし…それがことばとして意識化されてしまうのが詩を書く人々なのでは、と。ぼんやり思っていたことにつながるイメージを与えられました。御目文字の折にまた、たくさんお話を伺いたく存じます。急に寒さのつのる折柄、お身体をおいといになってくださいますように。

Posted by 薦田愛 at 2006/11/24 (Fri) 21:21:53
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